『海洋白書2021年』危機を乗り越え、美しく豊かな海を子孫へ! 【第5章:海洋の安全】

第4章では、海洋関連産業別に現状と将来の見通しをご紹介し、都市単位で海洋分野における脱炭素化や温暖化対策を行っている横浜市の事例を取り上げました。海洋環境に影響を及ぼすのは、漁業やエネルギー、造船、海運等の産業だけではありません。持続可能な社会への変革に向けた海洋分野における各種取組みを実行するにあたっては、該当水域のみならず全世界的な政治状況や災害と無縁ではいられません。

今回5章では、海洋の安全について取り上げます。深まる米中の対立を背景に、東アジア海域で強気な姿勢に出る中国。また、2020年7月には、日本関連船舶がモーリシャスで油濁事故を起こしました。船舶所有者、傭船者、当事国の利害が複雑に絡み合うこのケースは、どのように解決し、どのような教訓を残したのでしょうか。

最終節では、2021年で発生から10年となる東日本大震災について取り上げます。当時の被害を踏まえた津波対策をはじめとした取組みについて解説します。

【第1節:わが国をとりまく海洋安全保障】

1:「新冷戦」へと向かう米中対立

米国と中国は次第に対立を深めていましたが、2020年に香港問題とコロナ禍を巡って両国の関係は一段と悪化しました。この競争関係は容易には解消されそうになく、今後長期間にわたってわが国をとりまく安全保障環境を左右する要因となると予想されています。

米との対立を深めた中国は、オーストラリアやインド等、米国の同盟国や友好国との関係も悪化させました。そんな中、日米、オーストラリア、インドは11月、インド東方沖とアラビア海北部において共同演習を行っています。自由で開かれたインド

太平洋の維持と強化に向けて、日米豪印の協力関係が進展を見せています。

2:東アジア海域で威圧を強める中国

台湾の蔡英文総統は、中国の圧力に屈しない姿勢を示し、価値観を共有する各国とのパートナーシップを強める方針を示しました。台湾との関係強化を進めようとする米トランプ政権も、中国に対するけん制を行いました。

反発を強めた中国は、軍事的な威圧を強化し、台湾海峡付近での空軍戦闘機による事実上の境界線を越えた進入飛行や、空母による台湾海峡航行を行いました。

日本との関係においても、中国は東シナ海の尖閣諸島に対する圧力を強める等、日本の主権に対する挑発的な姿勢を強化しています。

3:米軍への対抗姿勢を強める中国軍

米国との対立を深めた中国は、軍事面でも米国に対抗する動きを強めています。2020年1~2月には、太平洋に進出する遠海訓練を行った際、米海軍の哨戒機に対する妨害行為を行っています。さらに中国は、南シナ海に向けて対艦弾道ミサイルを発射し、中国近海における米軍の作戦を妨害する意思と能力を示す行動に出ています。中国軍は、米軍にとっても南シナ海、東シナ海、西太平洋における自由な行動を制約しうる脅威となりつつあるといえます。

【第2節:モーリシャス沿岸の日本関連船舶による油濁事故】

2020年7月25日、長鋪汽船の子会社のOKIYO MARITIME社が所有し商船三井が傭船するばら積み貨物船「WAKASHIO(以下W号)」がモーリシャス沿岸で座礁し、燃料油等が漏出してモーリシャス沿岸を汚染する事故が発生しました。

1:W号と乗揚事故の経緯

W号は、中国連雲港を出港し、マラッカ海峡を抜けてインド洋を航行中、モーリシャス沿岸0.9カイリの場所で座礁しました。見張り体制の不備や、不十分な縮尺の海図の使用があったとされています。その後8月6日には燃料油が流出、15日には船体が2つに分断しました。

2:モーリシャス政府の対応

モーリシャス政府は、座礁翌日に国家緊急時計画を発動、油流出の始まった8月6日には環境緊急事態宣言を発出し、国際支援を要請しました。

3:関係各国の対応

フランス、インド、パナマ等が専門家の派遣や機材の提供等を行っています。油流出に対しては、「国際災害チャーター」が発動され、各国から衛星画像の提供を受けて解析図が作成されました。日本も専門家チームを3次隊まで派遣しています。

4:船舶所有者および傭船者の対応

今回の事故によって生じた損害の賠償責任は、国ではなく船舶所有者が負います。W号を傭船していた商船三井は、本来は事故の責任を負う立場ではありませんが、「モーリシャス環境・社会貢献チーム」を発足させ、自然保護・回復プロジェクトを行う旨を発表しています。このことは、ESG(環境・社会・企業統治)の観点から一定の評価を受けており、今後のモデルケースとなると考えられています。

5:事故防止に寄与できた可能性のある要素について

公式の事故調査報告書は2020年12月時点ではまだ発表されていませんが、以下のような要素が事故防止につながったのではないかと考えられています。

  • 新型コロナウイルス感染拡大に伴う乗下船措置
  • 船員が使用できるインターネット環境
  • 詳細な海図または電子海図の整備
  • 適切な見張りの励行
  • 沿岸への接近船舶の把握・対処
  • 迅速な初動体制の構築

6:環境回復に向けて 

日本政府は、専門家を現地に派遣し、野生生物や海水の水質・底質などの調査手法の提案や実施支援を行いました。今後モーリシャス政府・大学・NGO等と、日本含む他国の連携によって環境回復の過程が適切にモニタリングされることが期待されます。

7:安全で信頼性の高い海運

海難の自己原因の約7割が人為的な要因とされています。海事分野では、依然ヒューマンエラーによる事故が続いています。現在進んでいる自動運航船の実用化によって、海難事故の大部分を占める人的要素を減らし、より安全で信頼性の高い海運を実現することが期待されています。

【第3節:東日本大震災から10年】

1:巨大津波による大災害とその調査

2011年3月11日に起きた東日本大震災では、津波が東日本太平洋岸を中心として広域に来襲しました。津波の予想高さが初期段階では低かったこと等から避難の遅れが生じ、被害の拡大に繋がったといわれています。これを受けて、巨大地震における津波予警報では津波高さの通知を行わず、大津波の来襲のみを知らせて迅速な避難を促すことを優先するよう通知法が改められました。

迅速な復旧のためには、津波の正確かつ速やかな記録が必要です。東日本大震災においては、津波発生の翌日には複数の学会が合同で情報を交換する場を設け、効率的な調査が実施されました。調査データは速やかにインターネットに公開され、救援・復旧・復興活動の基礎資料として重要な役割を果たしました。

2:2段階の津波規模設定に基づく津波対策

津波が来襲した沿岸部では、過去の経験をもとに堤防等が設置されていましたが、多くの場所で津波は堤防を乗り越えて被害を及ぼしました。それぞれの地域で調査・研究が行われ、堤防・防波堤の破壊機構や被害との関連が解明されてきました。

総合的な津波対策を具体化するため、津波対策を計画するうえでの設計津波として二段階の津波規模が設定されることになりました。レベル1・数十年~百数十年に一度、レベル2・千年に一度程度の巨大津波です。

このレベルの設定により、構造物によるハード的な対策と、早期避難や土地利用によるソフト的な対策を組み合わせた総合的な津波対策が、より具体的に行えるようになったといえます。

3:復興と事前復興

被災地では、新しい津波対策による復興が進みつつあります。復興過程で導入された各種対策は、東日本大震災からの復興だけでなく、広く日本沿岸の津波防災を検討する枠組みとして用いられています。近い将来に発生することが予測されている南海トラフ巨大地震への対策として、内閣府はレベル2津波に相当する巨大津波の海岸での高さや浸水範囲を公表しています。

東日本大震災のような巨大災害への対策には、ハード・ソフト面ともに長期的な視点が必要です。教訓を風化させることなく世代を越えて持続させ、具体的な津波規模を用いた対策を有機的に連携させ、総合的な津波対策を推進する必要があります。

次回からは、第2部【日本の動き 世界の動き】について解説します。この部分は2020年の各分野における主な動きを時系列で追ったものです。その中から、重要と思われる動き、この解説で取りこぼしてしまった事項等を取り上げてご紹介します。

激動の2020年、海洋を取り巻く分野はどのように変化していったのでしょうか。全世界的な苦難を乗り越え、私たちは未来へ豊かな海をどう残していけるのでしょうか。