『海の科学がわかる本』海から地球を理解する!過去から今、北から南へ! 【第5章:海洋生物適応科学】

『海の科学がわかる本』解説の第5回目は、海に興味のある方なら身を乗り出す話題かもしれません。海に生息する生物に注目し、海洋環境への適応メカニズムについて解説します。

浅層から深海まで、海には様々な生物が生息しています。特に深海生物などは、陸上で暮らす私たちからは想像もできない仕組みを備えているように思えますが、生命は海から生まれたことを考えると、私たち陸上生物の方が「信じられない!」進化と適応を遂げているのかもしれませんよ。

1.はじめに

生命の起源について、最近の有力な説は、300℃以上の高温の水が噴き出す、深海の熱水噴出孔ではないかというものです。陸上の生物の祖先は、海洋から陸上に上がるという大きな環境変化に適応したのだといえます。

陸に上がるにあたって、生物は乾燥に耐え、呼吸機構を変え、気圧の低下に耐え、水温よりずっと変動の大きい気温に適応する必要がありました。

すべての生物は海に起源を持ち、現在でも陸より海の方が生物門数に富むという事実があります。シロナガスクジラのような地球上で最も大きく重い生物から、単細胞生物まで、海洋生物は多様性の宝庫なのです。

2.地球上の生物圏のほとんどは深海

地球上の生物圏(生物が生息している空間)の割合のうち、陸上はわずか1%です。一方深度1,000mを超す深海域は79%も占めています。地球のほとんどの生物圏は深海であるとも考えられます。

陸上は太陽エネルギーが豊富に降り注ぎ、一次生産者である植物のお陰で豊かな生物相が発達しました。一方深海は、アクセスの難しさから、生物多様性の全貌を人類は未だ把握しきれてはいません。しかし、深海に特化して見いだされる生態系が存在することがわかっています。化学合成生態系と呼ばれるものです。

植物の代わりに、一次生産者としてメタンや硫化水素のエネルギーで炭酸固定をする化学合成細菌が、熱水噴出孔や湧水域周辺において活躍します。

3.海洋生物を分類すると

海洋生物は一般的に、その生育環境と、生物種に対応する「サイズ」で分類されます。

海洋環境は、基本的には水塊(漂泳環境)と海底(底生環境)に分けられます。水塊に生息する生物は、陸地近くに生息する「沿岸種」と、はるかに広大な「外洋域」に生息する「外洋種」に細分化されます。他に、受動的に動く「プランクトン塁」と、能動的に遊泳できる「ネクトン類」の分類もあります。一方。底生環境に生息する生物は「ベントス類」と総称されます。プランクトンやベントスは生物種のスペクトルが広く、微生物や植物、動物が含まれます。

4.さまざまな環境に適応する生物―水圧、水温、光量―

海洋には陸上よりも豊富な生物門に属する生物が進化して多様な生物相を形成し。それぞれが様々な環境に適応しています。海洋の大部分の水塊に生息する生物は、地上とは違う以下のような「過酷な」環境で生きています。

・浮力と水圧:身体を支える頑強な骨格は不要だが、水圧に耐える必要がある

・海水温:太陽光で温められる表層以外は低温である

・光量:海洋の大部分は「無光層」。光合成による栄養供給は乏しい

5.高水圧に生息する生物の取得技術と適応環境の検討

深海生物を研究するためには、深海から生物を捕獲し。陸上で培養、飼育を経て適応機構を明らかにする必要があります。しかし、その作業は容易でなく、それが深海生物研究の足かせになっています。圧力の変化に生体が耐えられないのです。

低温や高圧を保持したままの採取が可能になったのは、比較的最近です。保圧可能な機器による採取・実験の結果、100MPa以上の高水圧に適応した微生物の存在が確認されました。また、高等多細胞生物の採取も試みられ、高圧に適応した細胞特性が確認されています。

6.陸上由来のモデル微生物である大腸菌で検討された圧力適応機構

生物の圧力に対する適応は、個体、細胞のような大きい集合体から、タンパク質特性や遺伝子発言調整のような分子レベルでも解明されつつあります。深海生物における実験だけでなく、大腸菌のような陸上生物をモデルとした微生物の実験でも検討されています。大腸菌を加圧したとき、高圧で細胞がダメージを受けるという応答を解析することで、逆に微生物の圧力適応を明らかにしようというものです。

高圧条件下で大腸菌を培養すると、細胞分裂の最初の段階で阻害されている可能性が高いことがわかりました。タンパク質同士が結合する機能が、高圧力には弱いということです。一方深海微生物においては、このタンパク質の圧力耐性が高いことも同じ手法の実験でわかりました。

7.貧栄養環境に適応した深海特有の生態系

もう一つの極限的な環境要因として、太陽光の不足による貧栄養があげられます。深海に生息する生物は、栄養が少ない環境にも巧みに適応しています。

深海における基本的な栄養源は、僅かに降下してくるデブリスや中小の生物です。しかし。深海にも特殊な場所があります。硫化水素やメタンなどの還元物質が持続的に提供される場所です。そのような場所では、その還元物質をエネルギー減とする微生物を一次生産者とした生態系が発達しています。これを、化学合成生態系と呼びます。

この微生物の生産する有機物を摂取する動物は、①主に口から微生物を摂取、消化する、②微生物を体内外に共生させ、直接有機物を得る、の2つのタイプに大別できます。

8.おわりに

人間がなかなかアクセスできない深海も、少しずつ解析が進んできました、しかし、まだ多くの謎が残されています。深海は未だ「地球最後のフロンティア」なのです。人間からすれば深海生物たちは過酷な環境に適応して生きているように見えますが、人間もまた海洋生物から進化してきたのです。深海生物の適応の仕組みを解き明かすことは、生命についての更なる新しい謎を見つけることに繋がります。

第5回目の今回は、海の生物たちが陸上とは異なる様々な環境に適応する仕組みについてみてきました。次回は、その生物たちのうち、微生物に注目します。海の表層部における一次生産者である植物プランクトンや、光合成の不可能な深海での生態系の源となる化学合成微生物たちはどのような仕組みでエネルギーを利用し生産を行っているのでしょうか。

表層に生息する微生物のうち、植物光合成とは違った形の光利用システムを持つ可能性のあるものも発見されており、海の生態系の多様さに驚かされますよ。