『海の科学がわかる本』海から地球を理解する!過去から今、北から南へ! 【第6章:海洋微生物は何をしているのか】

前回は、海洋生物について解説してきました。続く今回の第6章では、海洋微生物に注目します。食物連鎖の起点(一次生産者)といえば植物(植物プランクトン)を思い浮かべますが、多様な環境を備えた海洋中では、植物プランクトンが活動できる部分はそれほど広くはありません。光の届かない場所や有機物に乏しい場所において、微生物は何をエネルギー源にしているのでしょう?

また、植物プランクトンが優勢であると思われていた海の表層でも、植物プランクトンとは違う形で光エネルギーを利用している可能性のある微生物の存在が明らかになってきました。

小さいがゆえに多彩な代謝システムを備え、様々な環境に適応してきた微生物の世界を覗いてみましょう。

1.微生物とは

微生物は生命の基礎を学ぶのに最適の生物です。体はシンプルな構造ですが、微生物は多様な物質とそれを使った多様な反応により生命を維持する代謝のスペシャリストです。

生物が生きていく上で不可欠なのは、「活動エネルギー」と「細胞の材料」です。様々な物質から取り出されたエネルギーは主にATP(アデノシン3リン酸)に変換されます。ATPは生物に共通のエネルギー物質です。細胞の材料は主に糖、タンパク、脂質、核酸であり、主に炭素、水素、酸素、窒素からできています。

窒素源は多くの微生物が硝酸やアンモニウムを利用しますが、一部の微生物は大気中の窒素ガスを取り入れ有機体窒素に変換する「窒素固定」という重要な機能を持っています。炭素類とエネルギー源については、多くの微生物が有機物を利用します。ところが、一部の微生物は無機物だけをエネルギー源にするものがおり、それらの多くは炭素源として二酸化炭素を吸収します。

2.海洋表層の光合成と深海の化学合成による一次生産

海洋表層では、植物プランクトンや光合成細菌が光合成、すなわち食物連鎖の起点となる一次生産を行います。光合成とは、光エネルギーを使い炭酸固定をして有機物を合成することです。光合成生物が光合成生産を行える太陽光が届く層を有光層と呼びますが、沿岸域では表層から水深数メートル、外洋では水深150cm程度です。

一方、海洋の96%を占める無光層は光合成のない世界です。特に深海では表層から運ばれる光合成由来の有機物も限られるので、化学合成による一次生産も生態系を支えていると考えられています。化学合成とは物質の酸化還元反応でエネルギーを得るシステムで、有機物と無機物のどちらも基質になります。

化学合成微生物の場合、エネルギー源に無機物を使い炭素固定を行うものは植物同様に一次生産者として機能しています。海洋底プレート活動に起因する熱水活動域や冷湧水域では、無機物やメタンなどが大量に供給され、それらをエネルギー源とする微生物が爆発的に増殖し、一次生産者となっています。

3.最大規模の海洋微生物Marine Group Ⅰによる一次生産

熱水活動域や冷湧水域のように活発な生物活動が起きている場所は、広大な海洋全体からすれば僅かな割合です。海洋の大部分を占める「静かな」海洋では、微生物はどのように生きているのでしょうか? 長年のイメージは、有光層から落ちてくる光合成由来の有機物を利用して細々と暮らしているというものでしたが、最近の研究で、そのイメージを覆す発見がありました。

海洋微生物の中で最大の分布と存在量をもつMarine Group Ⅰという系統グループのアーキア(古細菌)が、アンモニアをエネルギー源に一次生産をしているという可能性を示すものです。もし仮にここに属するすべてのアーキアが海洋全体でアンモニア酸化と炭酸固定を行っているならば、この微生物は海洋全体の窒素および炭素循環に多大な影響を及ぼしているはずです。

4.表層に優占する未知微生物SAR11の正体

次に、SAR11と呼ばれるバクテリアグループについて紹介します。全海洋の表層域に偏在していると思われるSAR11ですが、機能については長年不明でした。研究が進み、SAR11株が非常に薄い有機物をエネルギー源としていることが判明しました。さらに驚くことに、SAR11は光エネルギーから生体エネルギーを作り出すための特殊なタンパク、プロテオロドプシンを持っていたのです。この発見の重要な点は、植物型光合成とは別に、世界中の海でプロテオロドプシンによる微生物光合成が行われている可能性があることです。

また、SAR11株には「磯の香り」の正体であり、揮発性が高いことから大気圏へ拡散すると気候変動に影響を及ぼすジメチルスルフィドの量を減らすことができる可能性があることも判明しました。

5.注目物質メタンに関わる海洋微生物

地球規模での影響力は3.4.で触れた遍在微生物には及ばないものの、海にはその他にも興味深い微生物がいます。ここでは、メタンに関わる微生物に注目します。

《好気的メタン酸化菌》

通常海水中のメタン濃度は低いのですが、熱水活動域や冷湧水帯では大量に放出されています。メタン酸化菌はこれをエネルギー源として爆発的に増殖し、食物連鎖の起点となります。

メタン酸化菌の生活様式は自由生活型と共生型の2つに分かれます。メタン酸化菌はエネルギーを作り出すためメタンを酸化し、最終的に二酸化炭素にしてしまいます。メタンは地殻内で生成する炭素化合物の中で二酸化炭素に次いで多く、それを有機化合物へ変換するメタン酸化菌は、機能的には立派な一次生産者といえます。

《嫌気的メタン酸化菌》

熱水活動域や冷湧水帯以外にもメタンは存在します。沿岸域には有機物を多く含んだ海底堆積物層があり、有機物の嫌気分解により生じたメタンが堆積物中に滞留しています。この中に、好気的メタン酸化菌とは全く異なるメカニズムでメタンを利用する嫌気的メタン酸化アーキアが広く薄く分布していることがわかってきました。

二酸化炭素の20倍以上の温室効果があるメタンの動静が注目されていますが、こうしたメタン酸化菌が地球温暖化防止に一役買っている可能性もあるのです。

《メタン生成菌》

海洋にはメタン生成菌もたくさん存在しており、彼らの主な住処もまた、海洋堆積物中や熱水活動域です。超好熱性メタン生成菌は、122℃でも増殖することが明らかになっています。この菌は高温に耐えるだけでなく、高水圧下で培養すると重い炭素同位体に富んだメタンを生産することが分かりました。安定同位体化学は地球生命の進化、生命物質環境等において様々な指標となっていますが、この発見は、これまで常識としてきた指標を考え直さなければならないほどのものでした。

6.おわりに

海洋微生物は多種多様な微生物が独自の進化をしており、生息環境や範囲も様々です。多くの海洋微生物については、その活動の全容が判明していません。しかし彼らは、動植物になし得ないバラエティに富んだ代謝特性を獲得することで地球全体に生息域を広げ、全地球的影響力を持つほどの存在なのです。

様々な微生物が、様々な物質をエネルギー源として利用しています。その仕組みを解析してみると、地球の大気循環や海洋から大気中への物質移動にも影響を及ぼしている可能性が見えてきました。

次回は、海の底、地殻に分け入っていきます。今回頻出した熱水活動域や冷湧水帯はプレートの働きでできたものですが、海や山ができるまでに地殻はどのように動いてきたのでしょうか。地球の地殻の仕組みを解き明かそうと試みてきた学説の流れを追いながら、地殻の進化を解説します。