コラム

2022年6月1日  

悲しみの涙でなく喜びの涙を!『海難救助のプロフェッショナル 海上保安庁 特殊救難隊』

悲しみの涙でなく喜びの涙を!『海難救助のプロフェッショナル 海上保安庁 特殊救難隊』
この4月に起こった観光船沈没事故。このような海難事故が起こった時、救助に動くのが海上保安庁の特殊救難隊です。しかし4月の事故では、事故現場が海上保安庁の起動救難士の「1時間出動圏」の外であったため、救助隊の到着までに時間がかかってしまいました。海上保安庁はこの結果を受け、全国の救助体制の強化に向け、検討を進めています。より迅速に救助現場に到着できるよう、改善が図られる見込みです。
海上保安庁特殊救難隊設立のきっかけも、実際の海難事故でした。昭和49年11月、東京湾で発生したタンカーと貨物船の衝突事故を契機とし、昭和50年に隊員5名体制でスタートしたのです。
海で起こる様々な事故に臨機応変に対応し、迅速な救助を行うため、隊員はどのような訓練を行っているのでしょう。またこれまで、どのような事例において活躍してきたのでしょうか?
今回ご紹介する『海難救助のプロフェッショナル 海上保安庁 特殊救難隊』では、海上保安庁特殊救難隊のOBたちがこれまでの任務について、やりがいや後輩への期待、ヒヤリハットなどを語ってくれました。後半は実際の出動事例と、現役隊員の対談で日常の訓練の様子をご紹介します。
事故やヒヤリハットに出会うたび志新たに改善を繰り返し、「苦しい 疲れた もうやめたでは人の命は救えない」をモットーに活動を続ける救難隊の人々。その姿を通して、海の安全への努力をご覧ください。

この記事の著者

スタッフM:読書が好きなことはもちろん、読んだ本を要約することも趣味の一つ。趣味が講じて、コラムの担当に。

『海難救助のプロフェッショナル 海上保安庁 特殊救難隊』はこんな方におすすめ!

  • 海上保安庁ファン
  • 救助隊員を目指している方
  • 海難事故の救助活動について知りたい方

『海難救助のプロフェッショナル 海上保安庁 特殊救難隊』から抜粋して5つご紹介

『海難救助のプロフェッショナル 海上保安庁 特殊救難隊』からいくつか抜粋してご紹介します。海上保安庁特殊救難隊OBの皆さんの声を通じて、隊員たちの訓練や活動、志を知ることができます。後半では実際の出動事例を挙げ、救助現場での活動の実際を解説します。また、現役の隊員による対談も収録されています。

潜水士と特殊救難隊

《潜水士の誕生》
海上保安庁は、巡視船艇・航空機を陸上組織が運用して、海難救助等を行ってきました。しかし、船艇・航空機の救助勢力では対応できない海難が数多く発生しました。「転覆海難」です。船内に生存者がいるのに潜って救助できない事例が続出したため、海上自衛隊第一術科学校のスクーバー潜水課程に研修委託し、養成を行うことになりました。

昭和46年には、2つの巡視船に潜水士を配備しました。これにより、海上保安庁は業務範囲を海上から海の中にも広げたのです。同じ頃海上保安大学校では本格的に潜水士の養成を始めました。

潜水指定巡視船は、2隻から22隻まで増強されました。潜水士は転覆海難に限らず機関故障船・浸水船・乗揚げ船・漂流者・曳航船等の海難救助に活躍しました。
この潜水士が、後に誕生する特殊救難隊の人的資源となったのです。

《特殊救難隊の誕生》
海上保安庁は潜水士を養成し、全国の転覆海難に対応する体制を整えていました。しかし昭和49年、東京湾でLPG・ナフサ混載の巨大船と鋼材運搬船が衝突・炎上・爆発・漂流という想定外の大規模特殊海難が発生しました。

海上保安庁は早急に対応せざるを得ない状況となりましたが、潜水士だけではとても間に合いません。そのため、巡視船ではなく陸上に特殊救難の専従部隊として特殊救難隊を創設したのです。

昭和50年10月に、1隊5名の特殊救難隊が第三管区海上保安本部内に発足しました。
特殊救難隊は、あらゆる海上の特殊海難に対応しようとする部隊です。その誕生によって海上保安庁は更に通常業務の枠を超え、その後、特殊警備隊・機動防除隊と特殊部隊の創設に展開していきます。 潜水士も、救急救命士・機動救難士という新たな分野へと展開していきました。

実際の事故は、その時点で救助のために足りない物的・人的資源やシステムの不備に気づく大きなきっかけになります。今年の4月に起こった海難事故でも、海上保安庁は救助体制を見直すことになりました。

訓練開発の思い出

初期の特殊救難隊は、訓練設備が充実していませんでした。そのため初期のメンバーたちは、様々な場所を利用して訓練を開発していきます。

1.屋上サーキット訓練
第三管区海上保安本部の建物は、大型船にそっくりでした。そこでここを使っての訓練を考えた結果、屋上レンジャーサーキット訓練が誕生しました。この「屋上サーキット」は、後に特殊救難隊の体力検定の種目となりました。

2.屋上スライド降下訓練
ヘリコプターから現場の巡視船艇等へ降下あるいは撤収する練度を上げれば、より迅速に救助ができます。それまでは階段培を利用して垂直降下訓練を行ってきたのですが、現場ではヘリが移動しながら隊員が降下する「スライド降下」を用いることが多く、この種の訓練の時間が不足していました。
そこで本部庁舎屋上の鉄塔と地上のトラックのクレーンフックにスライドロープを取り付け、地上の目標に降下する訓練を開発しました。この訓練を「ターザン」と名付けました。

3.本部階段塔での要救助者搬送訓練
5階建ての本部庁舎の脇に非常階段塔があり、ここで機関室の下から上甲板まで要救助者の救出訓練を実施しました。軽装・ライフゼムを使用・目隠し等で難易度を上げ、多種多様な訓練法を編み出しました。

4.試験研究センター水槽での潜水訓練
本部裏に試験研究センターがあり、その横に幅3m長さ20m、水深2mの程の水槽がありました。この水槽には大きな観測窓・造波装置・牽引装置があったため、早速訓練での使用を打診し、了承を得ました。これによって徹底的に潜水訓練ができるようになりました。転覆海難の調査研究にも、この水槽は多大な貢献をしてくれたのです。

発足初期の訓練場の不足は切実なものだったようです。「ありもの」を次から次へと海難現場に見立てては訓練を行い、練度を高めていった先輩隊員たちの熱意は、後輩にも確実に伝わっていることでしょう。

人命の尊さ

《命の光と影》
海で行方不明となった娘さんを待ち続けていたご両親がいました。娘さんの亡骸を発見したとき、ご両親は「見つけてくれてありがとう」と労いの言葉を掛けてくれたのです。他にも沈む船の中で死を悟り、合掌しながら息絶えている漁船船長の姿など、悲しい海難現場に何回も出動しました。

また一方で、多数の人々が閉じ込められた船内に入って、要救助者の歓声と喜びの姿を見たときや、要救助者を無事医療機関に搬送できたときなど、救助隊員として一番の喜びである生還の海難現場もありました。

命の光と影を海難現場で見つめ続けたことで、命の現場最前線で活動する特救隊に課せられた責任と素晴らしさを実感しました。

《生きようとする意思》
転覆した漁船の船内には、生存者が確認されていました。水温は低く時間も経過していたので、一刻も早い救助が必要でした。
船体周辺では船内への吸い込みによる急流が発生していました。転覆船が沈没すれば、そのまま海底まで引きずり込まれかねません。転覆船内には油が浮遊し、身体を保持することすら難しいのですが、そのような中で要救助者は待っていました。

要救助者に救助用全面マスクを装着して船外に向かう途中、救助が来るまで良く頑張った、そんな気持ちも込めて目を覗き込みながら手を握ると、要救助者はそれ以上に強く握り返してくれたのです。生きようとする強い意志を感じ、救助する側にも安心感を与えてくれました。

緊迫した現場においては、助ける側と助けられる側の間で、また助けることができなかった死者の姿を見ることで、大きな心の動きが生まれます。そんな現場での様々な感情が、苦しい訓練と厳しい現場を乗り越える力を隊員たちに与えているのかもしれません。

もうダメだと感じた時

《危険を予知できなかった》
平成9年1月2日、タンカー「ナホトカ」号の事故が起こり、特殊救難隊が出動して沿岸漂着防止を試みました。しかし作業は難航し、船首部は福井県三国町に漂着しました。漂着した船内の調査を行うため、バディとともに潜水作業を行うことになりました。

このような調査活動では、ふとした場面に事故が発生することがあります。潜水から20分程度経った頃、突然の大きなうねりに飲み込まれ、バディ索が外れて船内に引き込まれました。

やっとの思いで身体を保持しましたが、右のフィンとライトがなく、視界も失われ、身体の自由がききません。数分後、強い流れにまた引き込まれ、身体が飛ばされました。

もうだめだと思いましたが、その時、前方に光が見えた気がしました。すべての力を振り絞り、破口部から抜け出しました。しかしその時ホッとしたのではなく、危険を予知することができなかった自分への苛立ちを強く感じたのです。

《絶対に沈めるな!》
貨物船が座礁浸水した事故のときのことです。貨物船は先に現場に向かった副隊長らにより港外の静かな場所まで曳航されるはずでしたが、現場からかなり浸水が進んでいると連絡を受け、ヘリで現場に急行することになりました。

現場に到着すると、当該船は沈みかけており、潜水して確認したら大小無数の穴が開いている状況でした。「これでは船と一緒に沈んでしまう!」と本部に退避要請をしたところ、「絶対に沈めるな!」と叱咤されてしまいます。

弱気になっていたところ、船内の汚物だらけのトイレ前で、昨日から飲まず食わずの隊員2名が、船内で拾った乾麺をボリボリ食べているのを目撃しました。
「もうダメだ!」と思いましたが、結果的には乾麺で腹を満たした隊員達とギリギリの中で作業を続行し、何とか沈まずに持たせることができました。本当によく沈まなかったと今でも思います。

隊員たちも、現場で自分の命の瀬戸際を感じることは珍しくありません。訓練不足や認識の甘さを反省することもあれば、切羽詰まった場所で仲間が見せた図太さに救われることもあるようです。「ナホトカ号」については、現場に加わった隊員の証言を次にご紹介します。

ナホトカ号重油流出

平成9年1月2日、ロシア船籍のタンカー「ナホトカ」号は、隠岐諸島北北東の海上において突然船体が折損しました。船尾部は海底に沈没しましたが、船首部は数日間漂流し、福井県安島沖に漂着、座礁しました。乗組員31名は救命ボートで脱出し救助されましたが、船長は遺体で発見されました。流出した重油と座礁した船首部分のタンクに残っていた重油により、日本海沿岸の10府県の海岸が甚大な打撃を受けました。

海上保安庁は、本庁および第八管区海上保安本部、第九管区海上保安本部に災害対策本部を設置して、巡視船艇延べ約4500隻をはじめとした大勢力を投入し、船首部の沿岸漂着防止や行方不明者の捜索救助、油防除作業等を実施しました。

特殊救難隊は、最初に羽田航空基地から第四特殊救難隊7名が出動しました。海上自衛隊とも協力しながらライフラフトからの吊り上げ救助を行い、その後周辺海域を捜索してから現場を離脱し、基地から羽田に戻りました。

しかし1月3日午後8時過ぎ、第八管区海上保安本部救難課から、漂流している船首部の取り扱いについて連絡が入りました。巡視船2隻を2艘曳漁船のようにワイヤーでつなぎ、ワイヤーをナホトカ号に引っ掛けて沈めるのが良いのではということになり、1月4日早朝に6名で出動しました。

移動中にナホトカ号を確認したところ、安定した姿勢でした。そのため曳航索を今すぐ取り付けることを提案したものの却下されたため、着手は翌日となりました。ところが翌日朝、ナホトカ号は不安定な姿勢に戻ってしまい、近づけなってしまいました。

その後海岸漂着の可能性があったため、巡視船によるワイヤーの引っ掛けを試みましたが、失敗してしまいます。特殊救難隊は一度舞鶴へ引き返しました。
1月7日朝、特殊救難隊は舞鶴到着後、残していた器材を持って三国沖に戻り、午後には沿岸部に漂着した船首部の潜水調査を開始しました。船首部は転覆した形で漂着していましたが上下動をしており、船体の下に引き込まれる流れが生じていて近づくのは危険でした。

1月8日から、救難隊は三国海上保安署にできた現地対策本部に滞在し、船首部の潜水調査を始めます。未明から深夜まで活動は続きましたが、雪や強風という天候に左右され調査は難航します。

特殊救難隊長も油防除の専門家として現地対策本部に派遣され、隊員たちは潜水調査および防除活動を他の隊と交代しながら進めました。

大きな海難現場では、海上保安庁は海上自衛隊等とも協力し、またいくつもの救難隊が交代しながら作業を行います。天候と海の状態によって作業が難航することも多く、ときには現場と本部の判断が食い違うこともあるようです。

『海難救助のプロフェッショナル 海上保安庁 特殊救難隊』内容紹介まとめ

海上保安庁特殊救難隊OBの生の声から、過酷な訓練や日常の様子、現場での工夫や次世代へ伝えたい志などをお伝えします。実際の海難事故での活動事例も後半では紹介していますので、救助現場での手順も知ることができます。現役隊員の語る臨場感溢れる訓練の様子も必見!

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