『文明の物流史観』【物流から歴史を視る!人類はどうやってモノを運び売ってきたか?】

【第6回:交易の歴史的変遷と文明―交易の視点から歴史を見直す】

③第五次輸送革命~ラクダの隊商:シルクロードの兆し~

『文明の物流史観』解説第6回目です。前回は海・川の交易効率を上げた帆船の発明と、人類が輸送力だけでなく戦力をも大幅にアップさせた騎馬と戦車の発明について見てきました。

今回は、騎馬と車輪の発明がもたらした遊牧騎馬民族の隆興と、ラクダの隊商の始まりまでを解説します。騎馬技術と一族での移動生活からくる高い統率力を備えた遊牧騎馬民族は、今後登場する大帝国を脅かす存在になります。

ラクダの家畜化によって、それまでロバが担当していた陸上輸送が取って代わられ、より大量の輸送が可能になります。実はラクダは紀元前3000年頃にはアフリカや南西アジアでは絶滅に瀕していたそうです。家畜化されることで生き延び、シルクロードの主役に躍り出たのでしょうか。

5.6 第五次輸送革命:遊牧騎馬民族とラクダの隊商の誕生

第五次輸送革命は紀元前1000年紀に発生する遊牧騎馬民族とラクダの隊商です。この両者の誕生によって、後に本格化する陸のシルクロードの基礎が築かれます。

ヒッタイトの進入でバビロニアが滅んだ後、紀元前13世紀頃のメソポタミア地方は、カッシート、アッシリア、ミタンニ等に分裂していました。紀元前1200年頃ユダヤ人が出エジプトを果たし、パレスティナに居住を始め、紀元前1000年頃イスラエル王国を建設します。ソロモン王はティルスと共同で船団を組んで紅海に乗り出し、エジプト、メソポタミア、アラビアに隊商を送り、シリアには隊商都市パルミラを建設し、海陸両方の交易で大変栄えました。

一方ギリシャ人は紀元前2000年頃からバルカン半島に南下し始め、その一部アカイア人がミケーネ文明を形成します。アーリア系のドーリア人は、ペロポネソス半島に進出し、アテネやスパルタといった諸ポリスを建設しました。

アッシリアはメソポタミアを再統一し、紀元前663年にエジプトを占領、初めて全オリエントにまたがる帝国を築きます。紀元前6世紀の中頃になると、アーリア系の一部族イラン人が新バビロニアを征服、世界最初の大帝国アケメネス朝ペルシャを興します。ペルシャは多くの民族を支配するため駅伝制度を創設し、道路網を整備しました。このエジプトからインドに渡る道路網は、大規模な国際交易ネットワークの基礎となります。

フェニキアはチュニスに植民地カルタゴを建設しましたが、紀元前146年にローマに征服されます。アレクサンドロスによってバルカン半島、エジプト、メソポタミア、イラン、インダス川までを含む地域が征服され、アレクサンドロス帝国が築かれました。このときにギリシャ文明が広く拡散し、東方文明と融合してヘレニズム時代が始まりました。

  • 遊牧騎馬民族の誕生

騎馬の技術を東に伝えたのは、紀元前8世紀頃カフカス地方の北に興ったスキタイ民族です。彼らはヒッタイトに学んだ鉄器の製造法をもってユーラシアの東に広がり、モンゴル地方の遊牧民に騎馬と鉄器を伝えました。

彼らは町も城壁も築かず、家や家財道具を運んで移動しました。騎馬と弓を用いて戦闘し、生活は農耕ではなく家畜によって営んでいました。スキタイ民族より時代の下がった匈奴も、口頭の約束で定めた領地内を牧草と水を求めて移動しながら、牧畜生活を続けていました。家畜は馬と牛と羊が主であり、稀にラクダ等も飼われていたようです。

彼らの一族は高度に組織化されて高い戦闘力を備えており、ときに略奪も行いました。しかし略奪だけではなく、農耕民との交易も行っていたと考えられています。交易史上彼らの果たした役割はあまり注目されてきませんでしたが、彼らの発明である青銅製のハミや青銅器などは、彼らとの交易によって西から東に伝えられたのです。

  • ラクダの隊商の始まり

紀元前3000年頃には、実はラクダはアフリカ等で絶滅の危機に瀕していました。最初にどこで家畜化されたのか詳細は不明ですが、紀元前2000~3000年の間に、アラビア南部沿岸の狩猟手段が馴化したのではないかという説があります。

アラビアのラクダはヒトコブラクダで、フタコブラクダは紀元前2500年頃、イラン北東部の遊牧民によって家畜化されました。ラクダは1日に100Kmも移動可能で、餌も馬の半分程度です。足裏のクッションや歩き方の特徴から、乗り手が受ける衝撃も少なく常用に適した動物であるとされました。

出土品等から、紀元前2000年紀にはアラビアの香料交易が盛んになり、ラクダも交易に使われるようになっていたことがわかっています。エジプト、メソポタミア、南西アジアへ向けて、産地から船とラクダで乳香が運ばれました。

紀元前1200年頃にはアラビア半島の外でもヒトコブラクダの育種が行われていましたが、馬と同様、家畜化したものを駄獣として用いるためには、鞍の発明を待たねばなりませんでした。荷物は体の両側に下げていましたが、紀元前2000年紀後半に負担を分散できる積荷用の鞍が開発されました。

荷運び用のラクダは次第にロバの隊商にとって代わるようになりました。荷駄としてのラクダは紀元前8世紀には中国に伝わっています。このようなラクダの東洋への伝播は騎馬と異なり、中央アジアに点在するオアシス農業都市を通じたものと考えられており、後にシルクロードとなる交易路はすでに利用されていたと思われます。

  • フェニキアの交易

この頃地中海に興った海の商人フェニキアは、それまで東地中海を中心に活躍してきたミケーネを圧迫し地中海を制覇するとともに、距離の遠近を問わず商船によって大量の品を一度に運ぶようになりました。すでに重要な交易地として栄えていたエラムやビブロスに加え、シドン、ティルス、カルタゴなどの植民地を建設し、これらを基地として全地中海の交易を支配します。ソロモン王のもとでのフェニキア商人の活躍は、聖書でも触れられています。

彼らはペルシャ戦争に軍艦を提供する代わりに商業上の保護を受け、東地中海や紅海、アフリカ西海岸やイギリスまで足を伸ばしていました。

  • 帝国の出現と交易

紀元前550年、アケメネス朝のキュロス二世がメディア王国を倒して独立王国を樹立します。第三代ダリウス王の時代には、東はインダス川、西はエーゲ海北岸、南はエジプトまでを含む大帝国に発展しました。ダリウス王は、スーサからサルデスに至るおよそ2400kmにわたる道路「王の道」を整備しました。20~30kmごとに宿駅が設けられ、馬や食料、郵便夫が備えられていました。また、インダス河口から紅海を調査させ、ナイル川~紅海間の運河を開発し、地中海とインド洋を結び付けました。こうしてペルシャには、香辛料をはじめとしたインドからの物資が盛んに流入しました。後にペルシャを滅ぼしたアレクサンドロス大王も地中海~インド間の交易路を開発しました。

ペルシャの侵攻に対してギリシャは農耕植民地を地中海・黒海沿岸域に建設し、大量のギリシャ人が移住しました。農耕植民地は本国への貴重な穀物の輸入先でした。植民地の異民族は現地での農耕奴隷とされるか、本国の都市へ奴隷として売られました。この結果、紀元前5世紀~紀元前4世紀のアテネ型ポリスではこの種の売買奴隷制が著しく発展しました。

ギリシャで使われていた船は、フェニキアの船と同じ形態のものです。舵取り、船首係、乗組員長が乗っていました。この船で海洋商人、船主、船長が交易を行います。時が経つと、これらの職種は次第に分化が進み、多くの者が海上交易に関わることになりました。

紀元前336年マケドニアのフィリッポス二世がギリシャを統一、その跡を継いだアレクサンドロス大王は小アジア、フェニキア、エジプト、ペルシャを制し、さらにはインド西北部まで征服します。遠征先の各地に都市アレクサンドリアを築き、ギリシャ文明を拡散させました。そのひとつであるエジプト・ナイル河口のアレクサンドリアは、その後世界最大の都市に発展し、ローマへの穀物輸出基地として、また図書館の整備により地中海世界最大の学問都市としても栄えました。

  • カルタゴの繁栄と交易

このような中、西地中海の交易を独占していたのはフェニキアの植民地として建設されたカルタゴでした。ペルシャの侵攻でギリシャやフェニキア都市が圧迫を受けたのに対し、カルタゴはむしろ繁栄していきました。カルタゴ商人は大西洋に出てイベリア半島の海岸沿いに北上し、イングランドの錫の産地コーンウォールに至る航海を成功させたり、モロッコ経由でセネガルから黄金を持って帰ったりしました。彼らは交易において、「沈黙交易」の基礎を築いたといわれています。

カルタゴの輸出入品はカルタゴ内部の生産・消費用というより西地中海と東地中海との中継貿易向けでした。カルタゴはローマ帝国に滅ぼされた後ローマ属州の植民地として再建され、アレクサンドリアとともにローマの食料補給の大半を受け持つことになりました。

インド・中国にも同様の帝国が成立します。インドでは紀元前4世紀後半にマウリヤ朝が成立します。マウリヤ朝は国内のインフラ整備に努め、陸上交通網の整備が推し進められました。この交通網整備によって商業も隆盛し、インド商人たちは遠くオリエントまで活動範囲を広げました。

この時期中国では、秦が中国で最初の統一王朝を誕生させます。始皇帝は郡県制を導入し中央集権化を図るとともに、文字を統一し度量衡や車軌も統一しました。そして、全国の物流と自身の視察用に大規模な全国道路ネットワークを整備しました。他にも貨幣の統一によって広域取引の発達を促し、南海、桂林、象の三郡を設置し、南海貿易のきっかけを作りました。

紀元前1000年紀にはユーラシアの東西で帝国が成立し、地中海世界と東アジア世界がいつ本格的な交易を開始しても不思議ではなくなりました。

今回は、遊牧騎馬民族の登場とラクダの隊商の登場、帝国の出現と地中海貿易の変遷についてみてきました。本書を通しでみてくると、前の時代に開発された技術がここでこのような形で芽吹いたということがよくわかります。車輪の開発と騎馬の技術は遊牧騎馬民族を誕生させただけでなく戦闘技術を高めて大帝国の出現を促し、植民地の建設は本国への(人間をはじめとした)物資輸送ルートを確固たるものにしました。

次回で解説する節では、今回解説したラクダの隊商と、インド洋航路の発見によって、各文明圏に興った国々が繋がり始めます。これを経て、海陸のシルクロードが完成するのです。