読了『同調圧力ー日本社会はなぜ息苦しいのかー』

以前から不思議に思っていたことが、この本を読んで妙に納得してしまった。特に日本人は同調することに長けているのだろう。それに従わないと、仲間はずれにされたり、吊るし上げられたりと嫌な思いをする。

みなさん、こんにちは。
成山堂書店という専門書をつくっている会社の三代目(専務)の小川啓人です。
海に関すること(船、海洋、水産)、気象、飛行機、鉄道などの物流の専門書から、
深海魚、釣り、海の生き物などの趣味的な本までを発行しています。

社会と世間の違いとは

非常に興味深かったのは「社会と世間」の違いということ。世間は自分に近い人達の集まり。学校、会社、家族、友人など、普段から会うことや会話することが多い人たち。社会とは、知らない人たち。電車やバス、歩いていてすれ違う人たちは社会。欧米では社会は存在するが、世間は存在しない。この本ではそんなことが書かれています。確かに、海外行ったり、日本で外人に会うと気軽に話しかけてくる。日本でそれをやると「こいつ、なんだ?」って思われちゃう。

マンション内で人とすれ違うと挨拶をするが、中には無視する人もいる。その人の中では「お前のことは知らない」という世間があるのだろう。逆に挨拶を返してくれる人は、社会の中で生きているのだろう。と、この本を読みながら思うわけである。

世間が作り出す同調とは

「みんながそうやっているから」という理由で、同じことをさせるルールというか雰囲気というか。そういうのは日常的にある。「なにがなんでもマスクをしなくちゃいけない」という理由から、付けていない人を攻撃する人。人が多い場所なんかはしなきゃいけないだろうけど、ひと気が少ない場所では外していいんじゃないかと思う。自粛警察から派生した「◯◯警察」。自分のルールに当てはまらないと、何でもかんでも写真を撮って、それをネットにアップする。それが一つの快感なんだろうけど、「どうだ、やったぜ!」みたいな感覚は理解できない。

いろんなことをアップすることによって、見ている人に同調して欲しいのだろうか。多分そうなんだと思う。かつての僕もそうだったから。SNSに写真をアップしまくり、「見て見て」とアピール。「いいね」の数やコメント数を常に気にしていたあの頃。フォロワーが多くなり、コメントが多くなると、「自分はすごい」って思ってしまう。そして、自分の考えを強要していくのだろう。そんなことをしたって、なんの意味もないんだけどね。

水を飲んではいけない

昔の部活動は「水は飲むな」というルールが徹底されていた。でも、今は熱中症のリスクもあるから、どんどん飲めと言うらしい。それはそれでよいが、そうでないこともまだまだあるらしい。水くらい自分のペースで飲めばいいじゃんと思うけど、それだと秩序が乱れるという理由から、先生の一言がないと飲めない。それって子供だけじゃなく、大人もある。お昼休みを12時からとしている会社が多いけど、「なんで12時?」と思う。どこ行っても混んでるし、そのせいでお昼時間が短く感じる。ご飯を食べるタイミングは人それぞれなんだから、食べたい人は食べに行けばいいし、そうでない人は別のことをしているか、仕事をすればいい。「就業時間内のタイミング良いところで1時間とってね」でいいのではないだろうか。みんな12時からだから、という理由はいまだに理解できない。

もっともっと個人を出していけばいいのに、「出る杭は打たれる」のごとく自己を主張することを良しとしない文化はまだこの国にはあるのだろう。少しずつでもいい、「自分はこう思う」と声をあげてみると、世界が変わっていくのかもしれない。

とても興味深い一冊だった。