『文明の物流史観』【物流から歴史を視る!人類はどうやってモノを運び売ってきたか?】 【第4回:交易の歴史的変遷と文明―交易の視点から歴史を見直す】 ①交易史の時代区分と、第一次~第二次輸送革命まで

『文明の物流史観』解説第4回目となりました。前回は都市と商人の誕生について解説しました。今回からは、「モノ」を運び交易を行うことになった商人たちが、「何を用いて、どんなルートでモノを運んだか?」に着目して歴史を辿っていきます。

ここからが本書のメインです。書籍本体には地図や図画が掲載されていますので、輸送手段の発展とともに人々の行動範囲が広がり、小さな輪が繋がってルートを構成していく様子がよくわかるようになっています。地図があれば、交易ルートも想像しやすくなりますし、各地の地理的条件を思い描きながら本編を読むことができますよ。

新たな視点を用いて分析を行うためには、最初に定義を行わなくてはなりません。そこで最初の部分では、「何に着目し、人類史をどのように区分するか」について解説します。その後、段階を追って歴史の考察を進めていきます。今回は、丸太船の発明から車輪の誕生までをみていきます。

Ⅴ 交易の歴史的変遷と文明

5.1 交易史の時代区分と視点

世界の交易物流を考える上で重要なことは、歴史をどのような視点で理解するかということです。人類史の場合、これまでの代表的な区分は以下のようなものになります。

第一:考古学的区分 ①石器時代、②青銅器時代、③鉄器時代

第二:西洋における時代区分 ①古代、②中世、③近世、④近代

しかし、西洋的な視点に関してはキリスト教中心、西洋中心史観であるという批判もありました。マルクス史観等の新たな視点も生まれ、その後はさらにその影響を脱し歴史を世界的規模の視点から描き直そうとする試みが続いています。

さて、ここで歴史的視座を「交易(モノとヒトの移動)に移してみるとどうなるでしょう。著者は次のような歴史時代区分を提案しています。主として、輸送手段の技術革命や交通インフラの整備の有無を中心として区分したものです。

  • 第一次輸送革命(丸木舟の発明):紀元前9000年頃~紀元前4000年頃
  • 第二次輸送革命(車輪の発明とロバの家畜化):紀元前4000年頃~紀元前 3000年頃
  • 第三次輸送革命(木造帆船と騎馬の発明):紀元前3000年頃~紀元前2100年頃
  • 第四次輸送革命(チャリオットの発明とロバの隊商):紀元前2100年頃~紀元前1200年頃
  • 第五次輸送革命(遊牧騎馬民族とラクダの隊商の発生):紀元前1200年頃~紀元前100年頃
  • 第六次輸送革命(シルクロードの夜明けとインド洋航路の発見):紀元前100年~紀元600年頃
  • 第七次輸送革命(ジャンク線の登場と海陸シルクロードの完成):紀元600年頃~紀元1400年頃
  • 第八次輸送革命(キャラベル船の開発と大航海時代):紀元1400年頃~紀元1800年頃
  • 第九次輸送革命(動力輸送機関の登場と産業革命):紀元1800年頃~紀元1960年頃
  • 第十次輸送革命(コンテナの発明):紀元1960年頃~現在

運輸交通の革新によって、物流や人流、ひいては文明そのものが大きな影響を受けています。移動手段に技術革命が起これば、交易が可能な範囲も取り扱える物品も変化し、それによって都市社会も、富や物資を得てより発展したり、逆に広範な移動が可能になったことによって外部からの襲撃のリスクが高まったりといった正負の影響を受けます。

以下で、それぞれの時代区分ごとに交易の変遷をたどり、文明との関係を論じていきます。

5.2 第一次輸送革命:丸木舟の発明

出アフリカを果たした人類の一部は、紀元前45000年頃オーストラリアに渡り、狩猟採集生活を行っていました。残念ながら丸木舟や筏のような遺物は残っていませんが、彼らが海峡を行き来していたらしいことは確実視されています。彼らの一部はその後も海を渡り、周辺の島々に移住していることが遺跡から判明しています。人類の歴史からみて、河川や海洋を往来して交易を行うために丸木舟と櫂を発明したのは彼らが最初で、これが第一次輸送革命ともいえるでしょう。これらの丸木舟による輸送革命はユーラシア大陸の東側が先行しました。

日本では、紀元前5500年頃、紀元前5000年頃の刳船(くりぶね)が出土しており、これは縄文時代に日本海を渡って大陸と交易していた証拠であるといえます。縄文時代にしてすでに、太平洋沿岸域での海上交易や陸との河川を利用した交易があったのです。

丸木舟を利用した交易はユーラシア大陸の西側でも進展していました。黒海周辺や地中海周辺では、石器の原料である黒曜石や、青銅器の材料の銅や錫を得るため、丸木舟を用いてサルディニア島やリバリ島等の産地に出向いて交易を行ったと推察されています。集落間で交易を行っているうち集落は発展し都市となり、都市は統治組織と分業を生み、都市国家が誕生し、商人が誕生しました。

水上を移動する手段としては丸太や葦を利用した筏が最初で、次に操作性をよくした丸木舟や葦船が開発されました。推力となる道具は、最初はカヌーのようなパドルでしたが、のちに船体に支点を固定して漕ぐ櫂(オール)が発明されました。また、東アジアでは櫓が発明され、船尾に櫓を固定して推力を得る方法が生み出されました。こうして、複数の櫂と舵を装備した葦船や刳船が遠距離の航海を可能にしたのです。

5.3 第二次輸送革命:車輪の発明とロバの家畜化

文明の発祥地メソポタミアでは、その地政学上の条件から「交易」は都市国家成立の必須条件でした。チグリス川・ユーフラテス川では葦製の筏や革製の船を利用できたものの、遠く内陸の交易地まで出向くのには徒歩しかありませんでした。しかし、彼らは牛やロバを早くから家畜化していたので、荷物は動物たちに運ばせることができました。のちに車輪を開発し、これをつけたワゴンをロバに牽かせることにしました。この車輪と駄獣としてのロバの家畜化が、第二次輸送革命といえます。

メソポタミアは、灌漑のための青銅器の原料となる銅や錫を、家屋や鋤を作るために木材(レバノン杉)や石材を輸入し、代わりに農産物や塩などを輸出しました。これらの遠隔地交易を行ったのは商人たちです。陸上では牛車や牛の背に荷を積んで運び、河川の上流からは葦船や革船を利用しました。

メソポタミアでロバが駄獣として利用されるようになるのは、紀元前2500年頃です。ロバは紀元前4500年頃、北アフリカと南西アジアで、肉と乳を得るために家畜化されていましたが、やがてエジプトで駄獣として利用されるようになります。ロバが乾燥に強く、調教も難しくないことから荷運びに向いているとされたのです。

車輪の発明は、「コロ」から転化した説と「轆轤(ろくろ)」から転化した説とがあります。当時の車輪は円盤状の厚い板からなる一対車輪でしたが、やがて薄い版木を合わせて添え木で止める車輪となり、のちはさらに発達してスポークスタイプの車輪に改良されていきました。

牛に荷車を牽かせるためには軛が必要でしたが、当初のものがどのような形であったのか、詳細はわかっていません。牛車は遅いので専ら農地への肥料や道具の運搬に使用され、遠隔地の陸上輸送には、ロバの背の両側に綱でつないだ籠を負わせて運ぶか、ロバに荷車を牽かせていました。しかし、ロバを用いた大規模な隊商を組むまでには、少し時間がかかりました。

一方、当時すでに海上輸送が行われていたことがオマーン半島やバーレーンの遺跡からわかっています。ここで使われた船の詳細は不明ですが、大型の葦船を櫂で漕ぐ沿岸航行船ではないかと推察されます。エジプトでは、ナイル川での海上交通があったことがわかっていますが、彼らの用いた船は葦船ではなく、パピルス船でした。

今回は、本書の中心となる「交易史の視点から人類史を見直す」章の最初をお届けしました。丸木舟で海峡を渡り、それを用いて交易を始めた人々が、家畜を得て車輪を発明し、一気に多くのものを運べるようになっていきます。

このV章をお読みになるときは特に、お持ちの方は高校時代の世界史教科書や資料などを参照していただくと、より具体的に当時の様子を思い描けるかもしれません。書籍本体で豊富に引用されている先行研究書の中に、当時の人々の生活や商売の様子や、時には「ぼやき」まで見えてくるかもしれませんよ。

次回は、いよいよ船に帆が立てられ、陸上で人々は馬に乗り始めます。また、ロバを用いて隊商を組み、陸路を用いてより大きな交易を行うようになります。有名なラクダの隊商が登場する前には、ロバが用いられていたのです。小柄ですが乾燥に強く丈夫なロバたちは、今でも山間部などでは驚くほど大量の荷物を運んでいます。その先祖は、どのような形で荷物を遠隔地まで運んでいたのでしょう。

また、騎馬技術と車輪の発明は、軍用の戦車を生み出しました。軍用の戦車の発明が、輸送革命に影響を与えた理由は何でしょうか。戦力が上がった人類が運んだものは、物資だけではありませんでした。戦力の増大によって、「人間」も商品として遠くから運ばれるようになったのです。