『文明の物流史観』【物流から歴史を視る!人類はモノを運び、文明を発展させた】 【第1回:文明の定義と人類の誕生】

私たちは近年、災害や疫病に際して、「物流」が断たれたときの混乱を思い知らされてきました。必要なものが必要なときに必要なだけ手に入らない、そのことがどれだけ生活や経済に悪影響を与えるか、実感をもって思い出せる方は多いはずです。

今では当たり前になっているこの便利な物流網は、どのようにしてできあがってきたのでしょう?どのような社会でも、完全な自給自足では成り立ちません。人間は物資を交換しなければ生きていけないのです。

当社は船に関する本を得意とする出版社です。船は貿易において大きな役割を果たしています(外国との輸出入の9割を日本は海運に頼っています)ので、貿易物流についても当社は数々の専門書を発行してきました。その中で、この夏に発行された『文明の物流史観』は少し毛色の変わった本かもしれません。工学でも経済でもなく、「文明の発展において交易(モノの移動)はどのような役割を果たしたか」という観点から人類史を見直そうとしているからです。

ある視点から歴史を見てみると、概論では見えづらかった様々なことがわかってきます。人はなぜ交易を始め、どのようにモノを運び、それによって何が変化し、文明が発展することになったのか。本書は、人類の始まりから現代の物流現場までの歴史を辿る長い旅に読者の皆さんをお連れします。

第1回目の今回は、すべての前提となる「文明とは何か」の定義から始め、人類の誕生までの歴史を解説します。人類が文明を築き交易を始める前までのウォーミングアップ編と考えていただければよろしいかと思います。

Ⅰ 文明の定義と文明史観

交易が文明に果たした役割を論じるとき、まず、文明とは何かという定義を行う必要があります。諸説がありますが、簡単に紹介します。

・ゴードン・チャイルドの「古代文明」の定義:①効果的な食糧生産、②大きな人口。③職業と階級の分化、④都市、⑤冶金術、⑥文字、⑦記念碑的公共建造物、⑧合理科学の発展、⑨支配的な芸術様式

・小泉龍人の都市文明の要素:①高密度の集住、②分業、階層化と棲み分け、③物資、資本、技術の集中とそのネットワーク化、④権力の中心施設と支配管理道具(文字・文書・法・税)の存在

これらの見解は都市文明に対する見解であり、文明の誕生プロセスや文明の歴史的展開を示したものではありません。

文明の時空間における歴史的展開を示した文明論では、梅棹忠夫「文明の生態史観」が優れています。梅棹は四大文明と西欧・日本の並立的発展過程に対する見解を、世界を第一地域(日本と西洋)と第二地域(日本と西洋を除くユーラシア全土)に分けることによって示しました。

第一地域の特徴:古代文明帝国の発生した第二地域に対して辺境であったため、侵略の脅威を避けながら第二地域の文化を吸収して国家を形成し、封建制度を成立させた。外部からの脅威が薄かったため、文明内部からの変革により、資本主義体制に移行した。

第二地域の特徴:古代文明が発生し、巨大な帝国が成立した第二地域は、何度も帝国が成立と崩壊を繰り返した。第二地域には乾燥地帯があり、高い武力をもった遊牧民が出現し、常に帝国を脅かした。よって、変革や発展は外部からの力によって起こってきた。市民階級が発達せず、資本主義社会を作る基盤がなかったため、戦後は植民地となった場所が多い。

四大文明が発生した地域から地域的に辺境にあたる西欧・日本において、文明が並列的に同じような経過をたどって発展していったことを、説得力をもって解説しています。しかし一方で、文明を閉鎖的なものとして捉えており、相互作用を無視している等の批判がありました。

最近の中国や東南アジアの目覚ましい発展を目の当たりにして、世界史研究者の間では、これまでの世界史は「西欧中心主義」「キリスト教中心史観」であり、誤った史観であると認識されました。世界史の再構築が最大の課題となり、いくつかの提案もなされています。文明が交流によって歴史的な発展過程を歩んだという主張や、農耕社会と遊牧社会の境界「接壌地帯」が文明の発展に大きく関わっているとする説などです。

ハンチントンは文明の特徴として以下の5つを挙げました。①単数形の文明と複数形の文明ははっきりと区別される、②文明は文化の総体である、③文明は包括的である、④文明は滅びる運命にあるが、きわめて長命でもある、⑤文明は文化的なまとまりであって、政治的なまとまりではない

また、文字によって文明史の地域区分を提示する考え方もあります。現存するすべての文明は独自の文字を発展させていますし、文字を持たなかったとされるインカ文明も「キープ」と呼ばれる結縄文字を利用していたことがわかっています。

しかし、ここまでで紹介した様々な文明論には、重要な視点が欠けていると言わざるを得ません。それは、文明の誕生・盛衰に必須の「交易」という要素です。歴史上に盛衰した各種の文明は、その地政学的、生態学的独自性を反映する交易条件を抜きには語れないのです。小林道憲は以下のように主張しています。「交易なくして、都市は形成されず、交易なくして、文明は成立しない」。

そこで、この本では「文明の条件」として以下の5点を提唱します。①大規模定住人口を持っている、②文字を発明している、③統治組織を持っている、④社会インフラを持っている、⑤生態的・地政学的特性を反映した他地域と交易を行っている

Ⅱ 地球と人類の誕生

現在では、旧約聖書に書かれた創世記のすべてが真実であると考えている人はほとんどいません。地球の誕生や人類の進歩は科学的に解き明かされています。今から45.5億年前に原始太陽と小さな惑星が形成され、これらの小惑星が衝突を繰り返し、地球とその他の惑星に成長していきました。地球が冷えて海と地殻が誕生し、約6億年前には地殻が衝突を繰り返して結合し、ゴンドワナ大陸が誕生しました。分裂と再びの結合(パンゲア大陸)を経て、現在の七大陸ができたのは約1億5000年前です。現在においてもこれらの大陸はプレートとともに移動を続けています。多くの山脈が、このプレートの衝突か、火山によって生まれました。

プレートの動きとも連動して、約39億年前には海に単細胞生命が誕生しました。哺乳類の誕生は5600万年前頃です。類人猿の誕生は、氷期の最中の約700万年~500万年前の東アフリカのグレート・リフト・バレーとされています。約600万年前には同じグレート・リフト・バレーでアウストラロピテクスの祖先が生まれ、約190万年前には同じ東アフリカの地でホモ・エレクトス(原人)が誕生します。その一部がアフリカを離れ、ヨーロッパから東アジアまで広がりました。

一方約40万年前、アフリカの同じ場所に留まっていた原人の子孫から、ネアンデルタール人(旧人)が生まれ、ヨーロッパと西アジアを中心に広がりました。そして約20万年前、アフリカの原人からクロマニヨン人(現生人類)が生まれ、アフリカを離れて世界に広がったのです。このクロマニヨン人が、我々の直系の祖先です。

猿人以外の人類はいずれもアフリカを出て地球上に散らばっていきましたが、現生人類以外はいずれも絶滅しています。なぜグレート・リフト・バレーでのみ人類の進化が起こったかという理由は、プレートテクトニクス説によれば、グレート・リフト・バレーやヒマラヤの隆起が大気の循環を変化させ、氷床の発達による地球の寒冷化がアフリカの密林植生をサバンナ植生に変化させたためだと考えられています。密林から果実が得られなくなった猿の一種が二足歩行に進化して、サバンナの動物を狩猟する食性に変化したのです。

人類の進化は、頭蓋骨の容量の変化となって顕著に表れています。この変化により、人類は認知能力を発展させ、言語を獲得し、道具を発明していきました。約10万年~7万年前に出アフリカを果たした人類は、1万2000年前頃には農耕を開始し、人類のいわゆる四大文明を開化させました。原人・旧人・新人と知能を発展させたホモ・サピエンスは、過去の体験をデータとして蓄積し、それを活用して文明を作り出していくのです。

 

今回は、文明の定義と人類の誕生までの章について解説しました。アフリカで誕生した人類は、そこから知識と経験を蓄えながら世界各地に広がって定住し、文明を築いていきます。しかし、なぜアフリカを出なければならなかったのでしょう?

狩猟採集生活では、人類はその場所の食料が少なくなると別の場所へ移動するという生活様式を取っていました。放浪の末、ある土地に落ち着いて定住し、農耕を始めます。四大文明発祥の地が選ばれた理由は、農耕に向いていたからというだけなのでしょうか?

次回は、誕生した人類がアフリカを出て各地に散らばり、文明の基礎となる定住農耕生活を築くまでを解説します。人類の祖先たちは、豊かだった熱帯雨林の実りが気候変動のために減っていることに気づいたとき、災害のあとお店の棚が空になっているのを見た私たちと同じような顔をしていたかもしれません。