『文明の物流史観』【物流から歴史を視る!人類はどうやってモノを運び売ってきたか?】

【第12回:Ⅵ 二一世紀のヒトとモノの移動と文明】前編:人類の足跡~ヒトの移動と交易~

『文明の物流史観』解説も、終盤に入りました。12回目の今回から、最終章『二一世紀のヒトとモノの移動と文明』の解説を前編後編の2回に分けて行います。前回までは交易という視点から現代までの人類史を振り返ってきました。世界史の授業で学んだ出来事を「交易」の視点から見直すと、新たな発見が色々あったのではないでしょうか。親世代や自分たちが暮らしてきた現代ですら、多くのことが劇的に変化していたのです。

第Ⅵ章の前半では、交易についてのこれまでの流れをおさらいし、より「ヒトの移動」に着目した読み直しを行います。人の移動は気候変動等による環境の変化によるもの、国力強化のための侵略等があります。人の移動はモノだけでなく、情報、文化を運びます。この人類の移動が、現代のグローバル文明を生み出すことにつながったのです。

6.1 文明と交易(人類が歩んだ足跡)

  • 交易が生んだ都市文明

人類の祖先は、気候の激変によって樹上生活から地面に降り、ホモ・サピエンスへと進化しました。獲物を追って誕生の地アフリカを出て、未知の大地へと旅立ちます。温暖化による野生穀物の繁殖を受け、移動生活は定住生活に変わります。こうして人類は定住農耕牧畜生活を始めました。

土地の環境に縛られた農耕牧畜生活に耐えるため、人々は神を崇める祭祀を生み、神官が人々を治め、生産物の分配を行うようになりました。豊かになった人々は分業を始め、指導者のもとで協働します。こうして都市が誕生しました。しかし集住地には必要なすべての材料や食料が存在していることはなく、それらを算出する他の集団との「交換」が必要になりました。こうして、集住と交換は不可分となりました。必然的に都市には「交易を専門」とする商人が現れます。都市では、こうした専門職を養うためと、遠隔地交易の交換物を生み出すために、余剰生産物が必要になりました。

都市はヒト・モノ・情報の交流の場でした。拡大し周辺都市を吸収すれば領域国家となり、大文明と呼ばれる文明が成立します。大文明は交易を通じて周辺文明に影響を及ぼし、また逆に影響を受けます。統一国家も、都市間交易によるネットワークを基礎にしていました。

都市が成立するためには、水源としての大河川や湖沼だけでなく、交易の利便性も必要です。メソポタミアもエジプトもそれらの条件を備え、交易を通じて周辺にも文明を勃興させました。インダス文明もメソポタミアとの交易なしでは成立しなかったのです。

一方中国では、長江下流域で発生した都市文明において、水上交易が既に行われていました。その後長江文明は北上し黄河文明と融合します。黄河文明も北方の遊牧民との交易によって、青銅や鉄、騎馬の技術を得て一大領域文明へと成長しました。

やがて広大な帝国が誕生し、交易の範囲は拡大し、交換される品物の種類も交易量も増加しました。こうして陸上ではロバの隊商やラクダの隊商、海上では帆船が誕生し、その寄港地は中継港湾都市として栄えました。陸上の都市も同様に、市場と交易によって栄えました。

大航海時代の始まりとともに世界は海で結ばれ、グローバル化が始まります。対等なグローバル交易では双方で交易のルールが一致している必要がありますが、私的取引による経済活動では難しく、次第に国家が交易に従事するようになります。自国に有利な状況を作るため、強国は自分たちのルールを強いるようになります。近代西欧方式によるグローバル交易は、植民地帝国主義へと変容しました。

  • 輸送革命と交易

人類が定住農耕生活に入った頃、すでに丸木舟が発明され近距離海上交易が始められていました。人類は四大文明発祥より前に、すでに交易を始めていたのです。

地域内の交易では人は生産物を袋で持ち運びましたが、やがて牛の家畜化と車輪の発明により牛荷車(ワゴン)が使われるようになります。しかし遠隔地との交易には不向きだったので、家畜化したロバが用いられました。丈夫で多くの荷物を運べるロバの登場で、一気に大量輸送が可能になったのです。同じころ水上では、丸木舟や葦船・パピルス船が使われました。これらの発明は人類の大きな輸送革命でした。

これらの遠隔地輸送手段の発明は、都市文明をつなぐネットワークとして機能するようになりました。このネットワークは単に物質を移動させるだけでなく、文字や情報・技術を含めた文化を相互に伝搬しました。この文化の伝播が、次の輸送革命を引き起こしたのです。アナトリア周辺等で発生した青銅器の技術が交易によって伝わったことで、その先で複雑な道具が開発され、それを用いた輸送手段も発明されたのです。

こうしてエジプトで開発された木造帆船は、輸送する物品の大型化・大量化、重量化を可能にしました。この輸送革命によって神殿等の大規模建築物の建築を可能にし、都市国家が領域国家に発展するきっかけを作りました。木造帆船はその後外洋航海に耐えられる帆船を生み出し、地中海貿易の発展と、航海からインド洋までの航路拡大を促しました。

外洋船の次に、車輪を用いたワゴンが登場しました。その後新しい車輪が開発され、まず戦車が造られます。戦車によって軍事力が上がり戦争の様態は一変しましたが、その後ワゴンにも導入され人と荷物の輸送に使われるようになりました。これも大きな輸送革命です。戦車が使われなくなった後も車輪の改良は続き、自動車や鉄道につながっていきます。

戦車と騎馬技術を用いて栄えたヒッタイトが滅んだ後、鉄の製造技術は世界中に伝わりました。その伝搬に貢献したのは、遊牧騎馬民族と農耕民族の交易です。

やがてラクダが駄獣として使われるようになり、砂漠を横断する交易が可能になりました。ラクダはユーラシアの東西を結ぶ陸のシルクロード交易には不可欠でした。

ラクダと帆船による遠隔地交易は、19世紀に動力革命が起こるまでの約3000年間にわたって世界の輸送の主役でありつづけました。

19世紀になると動力機関が発明され、鉱山や紡績などの産業や、鉄道、蒸気船、自動車が生み出されました。鉄道や自動車は遠隔地を繋ぎ、蒸気船は天候に左右されない海上輸送を可能にしました。さらに内燃機関や電気が発明され、自動車や汽船、航空機の発明につながりました。

輸送コストはコンテナの開発によってよりいっそう引き下げられます。コンテナによって陸上~海上~陸上のドア・ツー・ドアの輸送が可能になったのです。このような輸送ネットワークのシームレス化によるグローバル市場の実現は、人類の文明市場で初めてのことでした。それゆえに、かつて人類が経験したことのない問題に直面することにもなったのです。

6.2 ヒトの移動と文明

人類はその誕生以来、異同を繰り返してきました。その中で、定住牧畜農耕民と遊牧民に分かれます。文明の交流や移転の中で、遊牧民が果たした役割は非常に大きいものです。移動を繰り返す遊牧民の侵入によって、農耕都市文明の変容が促されました。その代表的なものは、騎馬技術です。

遊牧民は単に農耕文明からの略奪だけを行ったわけではなく、通常は交易に携わり、青銅器や鉄器、絹や馬を運び、東西の文明変容に大きな役割を果たしました。ラクダの隊商を構成して砂漠を横断し、オアシス都市を結んだのは「交易の民」でした。また、沿岸部の漁民はラクダの代わりにダウ船を駆り、インド洋の交易に乗り出しました。後には、遊牧騎馬民族であるモンゴル民族がユーラシアの海陸交易路を統合し、ユーラシア循環交易ネットワークを完成させます。

また、4世紀には寒冷化によって遊牧騎馬民族匈奴(フン族)の大移動が始まり、玉突き状態で移動したゲルマン諸族が西ローマ帝国を滅ぼしました。そのゲルマン民族は、キリスト教西欧文明を発展させます。

6世紀半ばにも、異常気象による政治的大変動が起きています。東ローマ帝国は南北からの異民族の圧力とペストの流行により衰退し、中東ではペストの流行と洪水でササン朝ペルシャが滅びました。この不安定な状況でアラブが台頭し、イスラム帝国が拡大したのです。中央アジアではこの天災をきっかけに遊牧国家突厥(トルコ)が勃興し、東西に影響を与えます。大帝国を築いた突厥に追い出された柔然は西に移動し、ハンガリー平原に定住して東ローマ帝国に圧力をかけることになります。東アジアでも異常気象による飢饉が政局を不安定にし、再統一に向けた動きを加速した結果、最終的に隋・唐大帝国が成立することになりました。

民族の移動には、このような異常気象によるものだけでなく、商業・植民(移住)・略奪・征服など意図的な活動も多々ありました。古くはギリシャ人やフェニキア人の移住、その後は9世紀〜11世紀半ばにわたるノルマン人の移動が挙げられます。彼らの移動の原因は、人口の急激な増加と寒冷化によって、外部に土地と食を求めたことでした。

ノルマン人は北方に住むゲルマン人であり、ノース(ノルウェー)人、デーン(デンマーク)人、スウェード(スウェーデン)人に分けられます。彼らはヴァイキングとも呼ばれました。

ノース人の活動は主としてアイルランドを中心とするブリテン諸島に向けられ、9世紀後半には先住民のいないアイスランドに永住的な植民を始めました。

デーン人は沿岸伝いに北西フランスやイングランドへ侵入しました。一度は退けられましたが、10世紀になるとデンマーク王国を拠点に大規模な侵入を行い、イングランド、ノルウェー、スウェーデンやスコットランドの一部をも支配した一大海上帝国を築きます。この当時西ヨーロッパの主要都市で、ヴァイキングの脅威に晒されない国はありませんでした。

スウェード人は、ヴァイキング時代には北西ロシアに進出し、スラヴ人はやフィン人と交易を行っていました。また西欧諸国や東ローマ帝国、アラブ・イスラム世界とも交易を行い、各地の商品や銀貨を入手していました。またスウェード人は、ロシアの起源をなすノヴゴロドやキエフの国家形成にも関わったとされています。

視点を現代に向けると、多くの人々が国境を越えて移住しています。その理由は職(食)を求める、国際結婚、亡命、難民等様々ですが、古代からの移住の理由とそれほど違いはありません。途上国から豊かな国への職(食)を求める移民がいつの時代も主流なのです。

国境を越えた民族の移動によって、彼らが持っていた文化が移動先の文化に影響したり、また融合して新たな文化が生み出されたりして、文明そのものに影響を与えてきました。歴史を考えるとき、定住者の視点から考えてしまいがちですが、交易(移動)が人類の進歩を促してきたことを鑑みれば、人類の歴史は定住者と移動する人々がともに作り上げてきたものだといえます。このような文化融合は、グローバル化の進行とともにますます加速していくことでしょう。

交易が文明を生み、ヒトは移動することでそれを伝え、混ぜ合わせて新しい文明を生みました。人は移動し、モノを運び、それを誰かに渡すことでつながってきたのです。文明の歴史は、人・モノ・情報のネットワークの拡大過程ともいえるでしょう。

次回の最終回は、現代のグローバル化した交易が文明と人間社会に与える影響と諸問題について、また21世紀に登場したAI文明が交易においてどのように働いているのかを考察します。

21世紀に疫病に晒された私たちは、買い物にいけなくなったり品物が届かなくなったりしたら生活できないことを、またそんなときにモノを運び届けてくれるシステムがどれだけ貴重なものかを改めて思い知りました。かたちを変えても、交易と物流は人類文明を支える基盤なのです。