海洋気象台と神戸コレクション−歴史を生き抜いた海洋観測資料− 気象ブックス031


978-4-425-55301-3
著者名:饒村 曜 著
ISBN:978-4-425-55301-3
発行年月日:2010/5/12
サイズ/頁数:四六判 178
在庫状況:在庫僅少
価格¥1,980円(税込)
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幕末動乱期?
それは、今日の海洋気象業務の礎が築かれた時代でもあった。
 幕末の箱館戦争では、無敵をほこっていた幕府艦隊が自然の猛威の前に、闘わずして敗れ去りました。自然の恐ろしさを知り、海洋観測の必要性を痛感した勝海舟は、船舶からの海上気象観測の報告を義務づけました。
明治期には、中央気象台(現在の気象庁)で行われていました。気象観測データ収集・調査業務は、大正期には神戸海洋気象台にすべての業務が集約され、中央気象台保管の膨大なデータも神戸海洋気象台に集められていました。
 関東大震災や神戸空襲など、焼失の危険にさらされながらも、生き抜いてきた海洋観測資料「神戸コレクション」は、他国には類を見ない、長期間にわたる海洋観測の集大成です。近年、地球温暖化研究の基礎資料として活用されており、その価値はさらに高まっています。
 本書は、海洋気象台がどのように生まれ育ち、「神戸コレクション」を現代に残してきたのか、現役の気象台長がわかりやすくまとめ、日本の海洋気象業務を学ぶ上で、この上ないテキストです。
また、平成22年3月末をもって引退した気象庁の観測船「高風丸」「清風丸」「長風丸」の“卒業アルバム”としても、気象業務従事者にはぜひ手にしてほしい1冊です。

【まえがき】より
 嘉永6年(1853年)、マシュー・ペリー提督率いる4隻のアメリカ合衆国海軍が江戸湾入口の三浦半島浦賀に来航した。これを機に、日本は幕末と呼ばれる動乱時代に突入した。徳川幕府海軍では、勝海舟、荒井郁之助などのちの気象業務、海洋業務に指導的な役割をする多くの人々が育っている。徳川幕府最後の戦いである箱館戦争では、最強を誇った幕府海軍が自然の猛威の前に戦わずして敗れ去ったが、明治新政府は、敵方の幕臣であっても有用な人材は抜擢して起用した。
 明治7年(1874年)に海軍卿(海軍幕臣)であった勝海舟は、諸官庁や民間が保有する近代的な船は気象の観測を行い、その結果を海軍省水路寮に報告すべしという内容の太政官通達を出している。
 この船舶からの気象観測をあつめ海上気象の調査をしようという業務は、明治21年に行われた大規模な行政改革で、荒井郁之助が率いる中央気象台に移管され、発展・充実する。そして、大正9年(1920年)に神戸に海洋気象台が誕生すると、この業務は海洋気象台が引き継ぎ、中央気象台に保存されていた船舶からの報告はすべて神戸に送られる。中央気象台の大部分は大正12年の関東大震災で消失しているので、きわどいところであった。また、昭和20年(1945年)の神戸空襲では、神戸海洋気象台が焼け落ちているが、船舶からの報告は田舎に疎開させてあった。こうして、世界に類をみない長期間にわたる船舶からの観測報告の集大成、「神戸コレクション」が誕生する。
 商船等では、昔から安全に航海を続けるために観測を行い、それを記録することが行われていたが、航海が終われば不要のものと考えられていた。これを集めて調査しようという国が無かったわけではないが、戦争や災害などにより長期間にわたる保存には至っていない。しかし、地球温暖化が人類最大の問題に浮上してくると、長年にわたって蓄積された観測資料は、観測していた当時には考えられない価値あるものにかわっている。各国は精力的に過去資料を集め始めるが、重要性が指摘されている海の観測データは、もともと数が少ない上に、ほとんどが廃棄後で、なかなか集まらない。このため、「神戸コレクション」の価値は、どんどん高まっている。
 ここでは、「神戸コレクション」と、その誕生母胎となった「海洋気象台」について紹介したい。

2010年4月
饒村 曜

【目次】
第一章 近代日本の気象・海洋観測の黎明
 一 勝海舟と坂本龍馬と荒井郁之助
   全ては黒船来襲から始まった
   勝海舟の神戸海軍操練所の創設に奔走した坂本龍馬
   幕府艦隊を率いて箱館で戦った荒井郁之助
 二 旧幕臣の手で進めた気象事業
   日本初の気象観測は明治5年の函館
   船舶からの気象観測を集めるための勝海舟海軍卿の通達
   明治時代初期の気象事業は旧幕臣と外国人の手で推進
   内務省が海軍から引き継いだ船舶からの気象観測報告制度
 三 神戸での気象観測
   初代神戸港長マーシャルの気象観測
   兵庫県立神戸測候所

第二章 海洋気象台の誕生
 一 船舶会社の寄付でできた海洋気象台
   タイタニックが示した無線の威力
   海洋気象台の誕生
   海洋気象台の業務は正確な時を求めて天体観測も
   海洋気象台建設記念銅板
   海洋気象学会の誕生と日常業務と研究が同時に重視
 二 関東大震災で活躍した海洋気象台の無線施設
   関東大震災後は中央気象台の代役をした海洋気象台
   非常時とはいえ無線取り扱い規則違反
 三 東北地方の冷害対策と国防
   財政難と国防の観点から府県測候所の国営化
   日本初の気象観測所があった函館に2番目の海洋気象台
 四 日本の生きる道は海
   戦後初の海の観測は食料難解決のため
   最初に測候所と呼ばれた長崎に海洋気象台
   地元の熱意と経費節約で舞鶴に海洋気象台

第三章 海洋気象台の歩んだ道
 一 黒潮の大蛇行の発見
   原理は簡単な海の流れの観測とできた海流図
   黒潮の実態が分かり始めたときに起こった黒潮の変化
   潜水艦のランデブーで発見した大蛇行
   黒潮の大蛇行の影響
 二 海洋観測を競った神戸の「春風丸」と東京の「凌風丸」
   春風丸が発見した春風堆
   運の強い船と呼ばれた凌風丸
 三 冷害を克服し食料増産のためにはオホーツク海が鍵と考えられた
   オホーツク海南部は、北半球で最も南の凍る豊かな海
   流氷観測のためにできた空港が発展して女満別空港に
   その後の流氷観測
 四 新しい観測船
   風の字がついた本格的な観測船
   気候問題のために誕生し神戸にやってきた啓風丸二世

第四章 「神戸コレクション」の誕生と計り知れない価値
 一 神戸コレクションの誕生
   海洋気象台の誕生で関東大震災の難をのがれた船舶の観測資料
   神戸大空襲時は田舎に疎開
   神戸海洋気象台の膨大な資料や図書は阪神淡路大震災後に
   東京に疎開
 二 神戸コレクションの活用
   「神戸コレクション」の電子化/神戸コレクションで日本近海の
   長期変化がわかった
   神戸コレクションの「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」への貢献
   神戸コレクションの入手方法
 三 神戸コレクションからよみがえる様々なできごと
   海の記念日と関係の「明治丸」は灯台巡視船
   明治40年5月5日の石川啄木の日記と「陸奥丸」の観測記録
   第一回ブラジル移民を運んだ「笠戸丸」
   「笠戸丸」の数奇な運命
   日本にビヤークネスの低気圧論を持ち帰る藤原咲平を乗せた「熱田丸」
   日米間を238回も往復して歴史を作り、現在も使われている「氷川丸」
   「天領丸」と「地領丸(宗谷)」の天と地の違い
   巡洋艦「浪速」の艦長だった東郷平八郎もサインした軍艦による
   海上気象報告

第五章 現代の海洋気象台
 一 海洋気象台現在の仕事
   海洋課と海の健康診断
   海上気象課と港湾気象官
   観測予報課と地方海上警報
 二 アルゴ観測と海の天気図
   海面を漂流するブイと海中を漂うブイ
   アルゴとジェイソンの協力で海の天気図

(気象図書)


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