宇高連絡船 紫雲丸はなぜ沈んだか


978-4-425-94621-1
著者名:萩原幹生 著
ISBN:978-4-425-94621-1
発行年月日:2004/3/8
サイズ/頁数:四六判 212頁
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死者168名。多くの幼い命を奪った紫雲丸沈没事故。濃霧の中での“謎の左転”,衝突。その事件の真相に(元)宇高連絡船船長が迫る。

【はしがき】より
昭和30年5月11日、午前6時56分、風のない平穏な瀬戸内海の高松沖で世界海難史上まれにみる大事故が発生した。国鉄宇高連絡船の客貨船「紫雲丸」と同貨物船「第三宇高丸」が衝突し、紫雲丸が沈没するという事故でそれは濃霧のいたずらというにはあまりにも大きな犠牲を伴うものであった。
その前年の9月に函館港外で台風15号によって洞爺丸他四隻が沈み空前の犠牲者1155名を出した。その審判の結審も出ない7ヶ月半後の事故だっただけに国鉄当局は狼狽の色を隠せなかった。
洞爺丸の場合は、船長の出港中止判断を無視したある外部からの圧力行為によって強行出港させられたというニュアンスが色濃く流れていたうえ、台風という不可抗力的な要素があったので、世論の風あたりも「不運」の一言に傾きつつあったが、今度の場合はそうはいかなかった。
霧が立ちこめていても船長以下全乗組員が十分に用心さえしておれば事故は起こらなかったはずだというもので、初めから国鉄側の重大過失とされた。
死亡者は、一般旅客58名、修学旅行関係者108名、紫雲丸船員2名の合計168名、負傷者は旅客56名、船員1名の合計57名、そして損害額は弔慰金、貨物賠償金、紫雲丸復元費、その他合わせて約4億1400万円という、当時としては実に気の遠くなるような事故であった。
1912年に氷山と衝突して死者1490人を出した世界最大の海難・英国の豪華客船タイタニック号事件、洞爺丸事件に続き世界第3番目の海難事件ともいわれるこの紫雲丸事故は、一体何が原因で引き起こされたのであろうか。
世界的にも有名な瀬戸内の特異霧が遠因をなしていたことはいうまでもないが、それに対応する運用上の錯誤、事故直後の処置の不適切、避難設備の不備などは果たしてなかったのであろうか。
昭和63年4月9日をもって宇高航路は78年間の歴史に幕を降ろしたが、この事故に関しては決して幕を降ろして風化させてしまうようなことがあってはならない。
船員はもちろん海に携わる仕事に就いている者にとって、再び「紫雲丸事故」を引き起こすことのないようこの世紀の大事故について少しでも内容を知って頂き、語り継がれ、そして教訓として生かされて行ってくれるならば、それこそが多くの犠牲者に対しての最大の鎮魂花となるのではないだろうか。
連絡船OBやご遺族の方々の話、当時の各種新聞記事、文献などをもとにして編集し、最後に同じ航路を走った私の所感を述べさせて頂くことにした。
5月11日には必ず西宝寺山の麓にある慰霊碑にお参りをしていたご遺族の方々、事故関係者ご夫婦の話も聞いている。関係者の中には、古傷に触られる思いをする方もおられることであろうが決して忘れられては困るというご遺族の心情も察しなければならないと思う。
一つの記録として後世に伝えるべく、あえて執筆したことをどうかお許し頂きたい。すべて、この場をお借りして心からお礼とお詫びを申し上げます。
特に松江市のご遺族安部様には、大切に保管されていた当時の色々な資料をこころよくお貸し頂き深く感謝しております。
そして、無念の思いを抱いて瀬戸の海に沈んで逝った168の御霊に本書を捧げるものです。

2000年11月
著者

【目次】
紫雲丸事件
悲しみの合同慰霊祭
紫雲丸遭難者遺族会要望決議
弔慰金問題
紫雲丸殉職者の慰霊法要
友よ安らかに
宇高連絡船の旅客減少
引き起こし及び浮揚作業
地獄絵図
人命救助
処分と組織改正
その後の紫雲丸(安全対策)
紫雲丸事故の原因
紫雲丸事故原因の一推察(私見)
紫雲丸の慰霊碑をたずねて
紫雲丸の形見


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カテゴリー:趣味・実用 
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