杉浦千里博物画図鑑 美しきエビとカニの世界


978-4-425-88581-7
著者名:杉浦千里 画/朝倉 彰 解説
ISBN:978-4-425-88581-7
発行年月日:2012/5/10
サイズ/頁数:A4判 112頁
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価格¥3,630円(税込)
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エビ・カニに興味のある方だけではなく、細密画家やイラストレーターの方、またこれからその道を目指す方にも参考になる書!
細密画家の杉浦千里。没後10年の時を経て、初の作品集として刊行。甲殻類の魅力に取りつかれ、細部を極限まで描写したエビやカニの博物画は、いまにも動き出しそうな勢いで迫ってくる。各種の特長や形態の不思議を甲殻類研究の第一人者「朝倉 彰氏」が解説。身近な生き物でありながら、まだまだ知られていないエビ・カニの魅力を体感できる1冊。

ポイントその1 収録しているエビ・カニの図は約60点! どれもが細部を極限まで描写しており、その仕上がりは思わず息を飲んでしまうほど美しい!

ポイントその2 収録している約60種の甲殻類について、甲殻類研究の第一人者、日本甲殻類学会会長・京都大学フィールド科学教育研究センター教授、朝倉 彰氏による、形態・生態・分布の説明が載っています。甲殻類に興味がある方の教養書として最適です。

ポイントその3 細密画の具体的製作手順を写真入りで解説! どのようにして作っていけばいいかが一目でわかります。豊かな表現力が求められる画家、イラストレーターの方には貴重な資料です。表現技法の参考になります。

【杉浦千里博物画図鑑の出版に寄せて】 摩訶不思議な形のカニや極色彩のエビに魅せられ、その姿を克明に描く事に情熱を燃やした画家がいます。杉浦千里は円谷プロダクションのデザイナーとして活躍する傍ら、1点描き上げるのに数ヶ月かかる事もある博物画を、亡くなるまでの十数年で一気に描き、39年の生涯を駆け抜けました。真っ白い背景に浮かぶエビやカニの姿は写真と間違うほどの正確な描写で、見る人を驚かせます。しかも生前に発表した作品はわずかで、亡くなった時残された絵の多くは額装すらされていませんでした。誰も真似出来ないような博物画を世に残しながら、死後8年以上経って地元で展覧会が開かれるまで、その存在は忘れ去られていたのです。今回初となる作品集の出版は、生前からの千里の夢でした。「美しきエビとカニの世界」というタイトル通り、この図鑑には千里が情熱を込めて描いた甲殻類の博物画の魅力が凝縮されています。
杉浦千里は1962年、横浜市神奈川区に生まれました。今はマンションや住宅で埋め尽くされている神奈川区内の丘陵地も、当時はバードガーデンと呼ばれ、雑木林と畑が点在する自然豊かな場所でした。幼少期に野山を駆け回り昆虫や小動物に多く触れ合った日々は、千里の創作の原点となりました。
春から夏にかけてよく出かけたのが金沢区の海です。現在自然の海岸線は埋め立てによってほとんどが失われていますが、昭和40年代半ばまでは金沢八景や富岡といった遠浅の海岸は、子どもたちにとって格好の遊び場でした。特に富岡海岸は、潮干狩りで採れる貝の種類も豊富で、岩場では多様な磯の生物を観察する事ができました。この時の体験がなければ、千里が博物画を志す事もなかったでしょう。中学に入学する頃から金沢区の埋め立てが始まると、三浦半島まで足を伸ばすようになりましたが、京浜急行の中から通過する駅をさびしく見送ったものです。

もう一つ、子ども時代の千里が夢中になったのが1966年に始まった特撮ドラマ『ウルトラQ』です。まだ4歳でしたが、特徴を捉えて描く才能は天性のもので、登場する怪獣で次々とノートが埋まっていきました。その後もウルトラシリーズは千里の心を捉え続けましたが、ウルトラマンのデザインを将来手掛けるとは、当時は思いもよらなかった事でしょう。
中学時代は漫画を描く事に熱中し、怪奇映画の怪物や当時人気絶頂だったブルース・リーを登場させて、学校で人気を博していましたが、たくさんの映画資料を集めて研究するなど、写実描写に対するこだわりは徹底していました。
美術以外自慢できる成績でなかった事もあり、中学を卒業すると高校進学をあきらめて、日本美術学校の日本画専科に入りました。当時でも高校に行かない生徒は稀でしたが、杉浦千里という画家が生まれ得たのは、一番多くの事を吸収できる年代、絵画に専念できたからかも知れません。もし一般の画家志望者が進むような路を辿っていたら、あそこまで突き詰めて絵を描く事は出来なかった気がします。
3年間デッサンや日本画の基礎を学び、上の科への進学を待ち望んでいた矢先、学校の閉鎖が決まった事で絵画の道は突然閉ざされます。学歴の壁は厚く、アニメーションの会社を転々としました。不規則な長時間勤務や給料不払いなど、厳しい状況ではありましたが、同年代の友人に囲まれて仕事が出来た日々は楽しかったようです。
25歳の時に転機が訪れました。円谷プロダクションの怪獣デザインコンテストに応募した作品が準グランプリに入選したのをきっかけに、仕事をまかされるようになったのです。しかし、実際はキャラクター商品のイラストが中心で、怪獣のデザインを任されるのはずっと後の時代です。生活のためにガレージキットの原型師の仕事をしていたのはこの頃で、独学で模型の原型作りをマスターし、オリジナルの怪獣も制作していました。立体造形について学んだ事は後年の博物画制作にも役立っています。
円谷プロの仕事を始めたのと同時に、初めて博物画を描く機会が訪れました。当時老舗の図鑑出版社だった北隆館は4000点にのぼる魚類を集めた「原色魚類大図鑑」を企画、多くの画家が作画に参加していました。千里も売り込みに成功して魚を描く毎日が始まりました。当時は独学でしたが日本画で身に付けた技法を観察眼を武器に、多くの作品を担当しています。図鑑の絵はただ似せて描く、というレベルではなく、生物学者が記録したデータと写真を元に、正確な描写が求められました。完成した絵を持っていくと、担当の編集者が鱗の枚数や鰭にある筋(鰭上)の本数を数え、1つでも間違いがあると書き直しになりました。魚は環境によって体系や色彩が変わるため、鰭や鱗の数で分類されるのです。途中で編集者と衝突し最後まで制作に携わる事はありませんでしたが、これをきっかけに千里の博物画家としての人生がスタートしました。
1988年、26歳の時に本格的な博物画の技術を身につけるため、東京神田にある美学校細密画場に10期生として入学。約4年間、プロの博物画家としての技量を磨いていきます。入学当初はさまざまな素材が持つ質感の違いを表現する事に重点が置かれ、金属や石を描く毎日が続きました。これには閉口したようですが、この訓練を日々積むのが大切だった事は、千里の作品を見ればお分かりいただけると思います。3年目に入る頃には、カニの絵を制作する傍ら、教室に通う人達に博物画の書き方を教えるようになっていました。先生も「杉浦君は助手のようなものだ」と言っていたそうですが、千里は年度末を待たずに教室をやめてしまいます。教室に通う目的は達成した。それは同じネイチャー系の絵画を目指す仲間を探すためだった、と後に語っています。細密画教場の教え子3人を中心に旗揚げして行った展覧会が1993年9月の「Nature Graphic 展」でした。その後もメンバーや会場は変わりましたが、グループ展はずっと続けていました。リーダーシップがあり、面倒見の良い親分肌の人だったと、千里と交流があった画家仲間の人達は口を揃えます。当時教室に通っていた大田黒麻利さんによると、「昆虫描かない?」と声を掛けられ、標本とディバイダーを借りて昆虫画のレクチャーを何ヶ月が受けたそうです。絵具や筆の選び方、生き物の資料を売っている古本屋まで教わったとの事でした。千里はアクリル画の教室を開くのが夢だと語っていたそうなので、生きていれば良い先生になった事でしょう。
千里は甲殻類を描き始めた当初から、多数の記録写真を撮るほか、自分の手で標本まで作っていました。画題も最初は市場で手に入るものや、出版社の依頼に合わせて描いていましたが、次第に自身で採集したり、地方に出向いて珍しい種を探すようになっていきました。そのきっかけとなったのが、甲殻類の研究者である村岡健作先生との出会いです。1990年当時、横浜市中区の神奈川県立博物館には自然分野の研究室がありましたが、千里は何の前触れもなしに研究室を訪れると、「カニの標本を見せてください」と言って先生を驚かせたそうです。収蔵室や展示室で液浸や乾燥の標本を見て、様々な形態のカニに心躍らせたに違いありません。その後も何度か村岡先生の元を訪ね、カニを採集するためのアドバイスを受けたり、自身の作品を見てもらっていました。独学で甲殻類の博物画を学ぶ千里にとって、心強い相談相手に恵まれた事は幸せでした。エンコウガニは、村岡先生から頂いた雌雄の標本を元に描いた作品と思われます。

1993年、千里は八重山諸島にある黒島に出かけました。昼間は海に潜ったりカニアミを仕掛けたりしてカニを取り、夜中になるとジャングルを歩き回って、島民も見ることがないと言っていた大きなヤシガニの捕獲に成功しました。その時の記憶が、ジャングルを歩くヤシガニの絵として残されています。その後も千里は九州や沖縄には何度も出かけて、この本に収録されているコレクションが出来上がっていきました。同時に年に一度は作品の発表の場としてグループ展に参加していたのですが、画廊に出店する場合、必ず販売用の作品を出す必要がありました。思い入れがある作品を手放すのは辛かったため、かなり高値に設定したそうですが、中にはそれでも売れてしまい、がっかりしていました。高値といっても描く時間を考えたら安いものなのですが・・・。
1996年は三鷹市美術ギャラリーの「生物画倶楽部展」、千葉県立中央博物館の「現代の動物画、植物画展」と大きな展覧会に続けて出品しています。特に千葉中央博は企画段階から参加して会場の展示作業にも協力するなど、力を入れた展覧会でした。会場を埋め尽くした動植物の博物画は、日本の作家の高いレベルをアピールする良い機会となりました。本書に収録したヒラツメガニの制作過程は、このとき依頼されたものです。千里の甲殻類を描く情熱はこれを機に一層増して行きました。図鑑や科学雑誌の仕事をこなす一方で、大型のエビの連作この時期に集中しています。1996年のオスのニシキエビから97年のゴシキエビ、98年にはカノコイセエビ、シマイセエビ、メスのニシキエビまで一気に描き上げました。ニシキエビを描き上げた後、「もう嫌だ!絶対描かない」と叫んだそうですが、事実この作品がイセエビ類では最後の作品となりました。その後図鑑関係の仕事が忙しかった事もあり、1999年は「捕食(タコに襲われるタラバガニ)」の1点のみ。2000年も「夜を探せ(オカガニ)」と「カブトガニ」を描くのみでした。当時本人も自分の作風に迷いを感じ始め、背景入りの作品に挑戦した時期でもあります。そして2001年春、なにか吹っ切れたような集中力で、同じ個体の裏表を描き上げました。「ウチワエビ」と「セミエビ」は今までにも増して甲羅や脚部、尾ひれの材質の違いまで描き分けた意欲作で、写真に迫るような立体感が表現されています。甲の裏側には脚部の影まで描き込まれ、新しい目標を見出した喜びが感じられます。しかしこの頃からウルトラマンコスモスの仕事が多忙を極め、デザイン画を持ってプロダクションや撮影現場を行き来する日が続きます。ウルトラマンゼアスでキャラクターデザインを任された1995年以来、平市ぶりの大役に毎日があっという間に過ぎていきました。それでも夏には新宿御苑アートギャラリーで開催された「ネイチャーリアリズムアート – 動物、植物画の世界」に大作を中心に出展。秋に友人たちと開く展覧会の準備に取り掛かったのですが・・・。
別れの日は突然訪れました。急性心不全で病院に運ばれましたが、そのまま帰らぬ人に。2001年11月10日、まだ39歳の若さでした。机の上には描き終わったばかりの作品が3点。封筒に入れられており、それらはギャラリー文房堂「37人の小さな作品展」に遺作として展示されました。翌年11月には生前親交のあった画家仲間の協力でギャラリー香染美術「杉浦千里展」を開催しますが、その後千里の作品は長い眠りにつきます。
2008年、横浜開港150周年を記念して神奈川区役所が募集した「かながわ区民力発揮プロジェクト」に合格。同時に、横浜市神奈川区民文化センターかなっくホールの区民応募企画にも選出され、2009年3月、初の回顧展が地元横浜で開催されました。永い眠りから覚めるのを待ちわびたように、千里の描いた全作品が一同に並び、6日間の会期にも関わらず、1300名近い来場者が訪れました。実はこの展覧会が開かれる3ヶ月前、ある人のために一日だけ作品を公開しています。初めて回顧展を開くに当たって、千里の作品をどう評価していいのか自信が持てずにいた私達は、日本でもっとも博物学に精通している荒俣宏さんに代表的な作品を観て頂いたのです。もし一通り目を通していただけで終われば先はないと覚悟していましたが、額装を外し、絵を見つめる荒俣先生の目は真剣でした。「日本にもまだ、本物の博物画を描ける人がいたんですね・・・。生きている間に会いたかったな」。今回掲載した荒俣宏さんの序文は、この展覧会のために寄稿していただいた文を、一部変更して使わせていただいています。
生前お会いする機会こそありませんでしたが、千里自身は荒俣宏さんの著作から多くを学んでいました。特に1991年8月に発売になった「世界大博物図鑑1 蟲類」からは多大な影響を受けています。初めて本を見た時はきっと衝撃を受けた事でしょう。世界中から集められた膨大な量の博物画は、最高の教科書となりました。この本でニシキエビやシマイセエビの図譜に出会った事が、大作を次々描くきっかけの一つとなった事は確かです。
もう一つ、千里に大きな影響を与えたのが、1985年に観た田中一村の展覧会です。それまでまったく無名で、貧困のうちに亡くなった画家の作品は、当時安定した仕事も無く進む路を模索していた千里にとって、一筋の光を投げかけたはずです。特にエビや魚を生き生きと描いた作品に驚愕したと語っていました。千里も短い生涯で、経済的に恵まれた事は一度もありませんでした。作品が散財せずに残っているのは、千里の母が絶対に手放すなといって援助を続けていたからです。もし職業画家として生活していたら、ここまでの作品を描く事は困難だったでしょう。どこで筆を置いたら良いか、自分自身で選べる贅沢は貧乏と引き替えでしたが、それが間違いではなかった事は、残された絵を観ればお分かりいただけると思います。
2009年秋には日本で初めて開催された国際甲殻類学会に出展し、東京海洋大学の教室にずらりと並べられた甲殻類の博物画は、世界各国から訪れた甲殻類の研究者をも唸らせました。これをきっかけに、鹿児島大学の図書館で作品を紹介する企画展が開かれたほか、2011年には北九州市立自然史・歴史博物館での展覧会が実現しました。「エビとカニのふしぎ」という名の通り、博物画だけでなく、珍しいエビやカニを標本や生体展示を通して紹介する博物館ならではの試みは、会期中2万人近い来場者が訪れ好評を博しました。また、これに先立つ2010年には、横須賀市の観音崎自然博物館で企画展を行っています。博物館のすぐ横にある多々良浜はゴジラが最初に上陸した場所なので、ゴジラ映画を欠かさず観て育った千里も、きっと喜んでくれるでしょう。
2011年の12月から12年2月にかけて、東京で初となる企画展「博物画に観るエビとカニの美」が東京都葛西臨海水族園で開催されました。日ごろ見る機会のない博物画の世界を、来場者に紹介する良い機会となりました。
こうして千里が生前果たせなかった夢の一つは、多くの方々の協力で実現に至っています。そして今回、博物画の作品集という形でもう一つの夢が叶おうとしています。千里は博物画の仕事を始めてから亡くなるまでの約15年間、博物画の魅力を伝えるための活動に力を注いでいました。また、自身が獲得したアクリル画の技術を後進に伝えたいという願いをずっと抱いていました。残念ながら、直接絵の描き方を指導する機会は永遠に失われてしまいましたが、この本に収録した博物画の制作手順をご覧いただければ、千里の気持ちは汲み取っていただけると思います。そしてなにより千里が伝えたかった、生き物への愛情、生命の大切さといったものをこの本から感じ取っていただければ幸いです。

謝辞

本書を発行するにあたり、ご多忙の中こころよく解説を引き受けてくださった、日本甲殻類学会会長の朝倉彰京都大学教授に、心から感謝申し上げます。
また、生前千里と活動を共にしていた画家の皆様や、展覧会を通じて千里の絵に共感し、杉浦千里の作品保存会の活動を応援してくださっている多くの皆様にも、深く感謝の意を表します。

2012年4月
杉浦千里の作品保存会

【目次】
【エビ類】
 ・ニシキエビ(メス、オス)
 ・ゴシキエビ
 ・イセエビ
 ・カノコイセエビ
 ・ウチ
 ・ワエビモドキ
 ・セミエビ
 ・ゾウリエビ
 ・ウチワエビ
 ・アメリカンロブスター

【ヤドカリ類】  ・ヤシガニ
 ・オカヤドカリ
 ・ホンドオニヤドカリ
 ・ホンヤドカリ
 ・ハナサキガニ
 ・タラバガニ

【カニ類】  ・アサヒガニ
 ・カイカムリ
 ・ヒシガニ
 ・カルイシガニ
 ・トラフカラッパ
 ・メガネ
 ・カラッパ
 ・マメコブシガニ
 ・アカモンガニ
 ・ダンジネスクラブ
 ・ベニツケガニ
 ・ミナミベニツケガニ
 ・ガザミ
 ・タイワンガザミ(オス、メス)
 ・シマイシガニ
 ・ヒラツメガニ
 ・エンコウガニ(オス、メス)
 ・ウモレオウギガニ
 ・ヒヅメ
 ・ガニ
 ・トガリヒヅメガニ
 ・ツブベニオウギガニ
 ・クマドリオウギガニ
 ・ショウジンガニ
 ・ベンケイガニ
 ・オオベンケイガニ
 ・イワガニ
 ・イソガニ
 ・ハマガニ
 ・スナガニ
 ・ヤマトオサガニ
 ・オカガニ
 ・ツノメガニ
 ・アサリピンノ
 ・オオヒライソガニ
 ・イソクズガニ
 ・イシガニ
 ・キンセンガニ
 ・タカノケ
 ・フサイソガニ

【カブトガニ類】  ・カブトガニ
 ・アメリカカブトガニ


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