『文明の物流史観』【物流から歴史を視る!人類はどうやってモノを運び売ってきたか?】 【第3回:都市と商人の誕生―国家と市場交易】

『文明の物流史観』解説第3回は、いよいよ本書の主役である商人たちが登場します。前回では、人類が狩猟採集生活から定住生活へと移行し、農耕を開始して集落を築くまでを解説しました。食料調達に有利であった河川沖積平野に定住した人々は、人口を増やし、集落を大きくしていきます。遺跡などから、その頃にはすでに遠隔地との交易が始まっていたことがわかっています。

「交易」を論じるために、この章の冒頭ではまず交易の定義を行います。交易を専門の仕事とする商人は、いつどのようにして誕生したのでしょうか?仕入れたモノを効率よく売るには店や市場が必要ですが、成立過程や、地域別の特徴はどのようなものだったのでしょうか?

当時の市場の賑わいを想像しながら読んでいただくと、より楽しいと思います。

Ⅳ 都市と商人の誕生

  • 交易の定義と形態

国語辞典を見ると、交易とは「品物の交換や売買をすること」と書かれています。品物の交換や売買は、行われる場所や運搬手段を必ずしも前提としたものではなく、本書では小集団同士の物々交換や貨幣を介在する売買に限定せず、広くモノの行き来を交易として定義しています。つまり、ここでは「交易≒物流」ということです。

人類が濃厚定住生活を始めた頃にはすでに遠隔地との交易が始まっていたことは、遺跡や出土品からわかっています。地中海では、海洋交易がおこなわれていたことが推察されています。

このような交易はどのような形で行われていたのでしょうか?カール・ボランジニーは交易の形態を3つに分類しています。

1.贈与交易(互酬経済):儀礼的贈物の交換

2.管理交易(再配分経済):国家または国家から特許を得られた団体が行う

3.市場交易(市場経済):当事者同士間で自由に行う交易

他の分類としては、グリァスンによる「沈黙交易」「対人物品交換」「客人の招請」等の定義があります。都市文明が形成されるまでの定住農耕集落館の交易は対人物々交換でした。沈黙交易とは、交易をする双方が接触せずに交互に商品を置き、双方ともに相手の品物に満足したときだけ取引が成立するものです。有史以前の交易の形態はこの2つが中心だったと考えられています。

  • 都市と商人の誕生

イギリスの考古学者ゴードン・チャイルドによれば、人類は約1万年前、西アジアにおいて第一の大きな社会経済上の変革(定住農耕生活)を成し遂げた後、紀元前3000年半ば頃からメソポタミアやナイル川流域、続いてインダス川や黄河流域で、第二の大変革を経験したといいます。つまり、国家と都市の成立です。

いずれの文明においても、この変革は段階的に起こりました。定住農耕生活を始めた地域から集落が順次形成されていきました。集落地と農耕地は区別され、集落地の中には神や祖先を祀る神殿などが築かれ、一族の長が祭祀を担当しました。集落が大きくなるにつれ、祭祀を司る人々は神官となり、土地の配分や収穫物の集中管理や分配などの行政的業務も担当するようになります。神官への権力集中とともに官僚機構が発達し、神官の長が王となり、都市国家が誕生します。組織を統治するためには記録システムが必要になり、文字が誕生しました。こうして、文明の要件が揃ったのです。

メソポタミアでは金属が産出しないため、文字は粘土板に記録されました。青銅の技術がアナトリア方面から伝播してくると、青銅器の材料調達のため、産地へ出向く必要がありました。神殿や王宮はそのため、「交易人」を選び遠隔地に派遣しました。こうした「公務交易人」たちは私的な取引も行い、次第に私商人が分離していきました。他の文明開化地でも、ほぼ同様の経緯で都市と商人が誕生しています。

神官への権力集中が官僚組織を作り出し、神殿や宮殿とともに市場あるいは倉庫も整備されました。都市と交易は不可分の関係にありますが、この交易は誰が担ったのでしょうか。このことについて、都市の誕生と商人の関係から考えます。

ホルスト・クレンゲルによれば、商人という事業者が誕生するまでのストーリーは次のようなものです。

農民や牧畜民として定住生活を送るようになると、人間は一定地域の生態学的条件にさらに強く束縛されるようになる。そのため、他の集団・集落との交換が必要になり、経済を営む上で交換はなくてはならない要素になった。生産物が同一種の継続した大量生産により、よりたくさん交換に回せるようになると、その際ある特定の産物が貨幣代わりの価値を持つようになった。交換が増え範囲が大きくなるほど、この活動に専念する人が必要になり、商人があらわれた。

クレンゲルは都市化へのプロセスには交易が果たした役割が極めて重要であったと述べていますが、これだけが都市化の条件ではありません。交換生産物を増やすためには、多数の労働力が必要です。この労働力をまとめるために、祭祀を司る神官という専門職が権力の集中と官僚を生み出し統治システムを作り出したのです。

メソポタミアの都市の形成過程では、神官が農作物を神殿に貢納させて再分配していました。シュメールの都市国家では早い時期から豊富な麦や亜麻、毛織物等の余剰生産物を持っていましたが、金属や鉱石といった資源がなく、早くから遠隔地との交易が発達しました。その後のバビロニアではこのような遠隔地交易を、王が任命する商人長が行っていましたが、この商人長は交易に出るというよりは予算配分を行う官僚の性格の強い役職でした。遠隔地交易の当初の需要者は王宮であり、その発注を官僚が受け持っていたのです。

当時のメソポタミア商人は、商人長の指示のもとで国家の財務を物品と銀で実行すると同時に、私的利潤のための商取引行為を市場で行っていました。公の取引と私的取引の2つを行っていたのです。商人の資本の一部は高利貸資本にも転換し、債務奴隷を生み出す元にもなりました。

では、都市に存在する以外の「旅をする商人」はどのような活動をしていたのでしょう。運搬を担う最初の動物はロバでしたが、時代が下がるとラクダが家畜化され、ベドウィンと呼ばれる人々が現れました。彼らは定住農耕者と乳酪製品や羊毛を穀物と交換しつつ、運搬も担うようになります。やがて都市在住の商人たちが大規模な隊商を組織するようになり、遊牧民は商人と運搬人の二役をこなしました。そのうち商人は印章を運送屋(隊商)に託し、自身は移動しなくなります。こうして商人と運送が分離しました。

エジプトも豊かな生産力に恵まれていましたが、石以外の材木や金属には恵まれていませんでした。そのためエジプトでも早くから隣接地方と関係を持ち始めています。しかし、神官段が商業を掌握していたため、私的商人による商業は発達しませんでした。中国でも、商人は邑制国家の出現と同時に誕生しています。商業が発達するにつれて、環銭や刀銭、銅銭がつくられて普及しています。商工業の発展は都市の発展を促し、首都に市場や工房を設置する経済都市も現れました。

以上のように、いずれの文明にも交易を行う専門職としての商人は都市の発生と同時にみられています。

そもそも、交易はなぜ必要なのでしょう?それは、定住した地域に生存発展に必要なものがすべて揃っているとは限らないからです。生産性を上げるには道具は必要であり、文明が発展するにしたがってより高度な道具や豪奢品、その地域では生産しない食料等への欲求も生じます。交易は「欲求充足の手段」として自然発生的なのです。その過程で専門職商人が必要になり、輸送手段が生み出されました。製品が増え、交易範囲が広がるにしたがって、介在する専門職も増えていきます。

  • 都市と市場の誕生

カール・ポランニーは、市場制度が発達する起源として対外市場と地域市場の2つを挙げました。

①対外市場:貿易など、共同体外部からの獲得に関係

②地域市場:共同体での食料の分配に関係し、物資を中央に集めて分配する形と地域の食料を販売する形に分かれる

また、都市を単位として交易する場合、多種多様な産物を交換する一定の場所の設定と、その管理体制も必要となります。つまり、市場と市制、それを管理する市吏がなくてはなりません。少なくとも古代の都市国家や領域国家では、都市計画の中に市場または国家管理倉庫が設計されていました。大規模な広場は設けなくとも、特定の大通りや都市の城門に市が立っていたのではないかと考えられています。

アケメネス朝ペルシャ時代の城郭都市には、正門から反対側の城門に至る大通りに沿って大規模な市が開かれていました。これは現代のイスラム諸国においても都市計画に組み込まれた大規模なバザールとして生き残っています。

後のギリシャやローマ、中国の漢代以降の時代には、更に進んで市の場所は都市機能の一環として計画的に建造されるようになりました。ギリシャでは集会や市のための公共広場(アゴラ)周辺にストアと呼ばれる列柱廊下があり、これが「店」の意味のストアの語源となっています。

中国では、身分としての商人が登場するのは周王朝後期からで、春秋戦国時代には各首邑には市場や工房があり賑わっていました。後漢時代には商品経済の発展とともに、辺境との交易が緩和され、周辺民族や海外との交易が発展します。周辺の少数民族や西域各地との交易ルートがのちにシルクロードとなります。

漢代の都市と市の関係は、以下のような3~4層構造のものでした。

長安都:全国の物産が集積→都会:区域ごと、交通の要所→郡治県治市場:地方の物産が集積・販売される官営の市場

市場には市令、長、承などの市の上級官吏や、その下で働く市吏がいて、市場で売買される商品の品質、市税、市場秩序の管理を行っていました。また、都市内の常設市以外にも、農村部の市や定期市がありましたが、これらも監視の対象となっていたと考えられています。

唐代の中期以降この体制は崩れ、宋代に入ると都市の商業は必ずしも一定の場所に限定されなくなります。また、都市の商人たちは「行」と呼ばれる相互扶助的な機能を持つ団体(ギルド)を結成します。

以上のように、都市または国家と市場交易は不可分の関係にあり、為政者は国家を運営するために市場は極めて重要なものであることから、大なり小なりの規制や監視を行っているのです。

今回は、都市の発生に伴って商人が誕生し、市が発生するまでをみてきました。人が増え集落が大きくなれば、人々は地元の生産物を貯蔵する一方で、「ここにはないが、是非必要なもの」「ここにあるが、適切な分配が必要なもの」に気づきます。

リーダーたちは食料を集め効率よく分配するため、また、他の場所のものを入手するため、専業の商人を任命しました。商人たちは集まって市を構成し、次第に市は都市計画に組み込まれていきます。国家と市場交易は重要な関係にあるため、適切な取引が行われているかどうか、為政者は常に監視する必要がありました。

その過程で、交易を行うために運搬手段が生み出され、専門の運搬人が誕生します。次回からはいよいよ本書の中心部に突入します。交易に着目して人類史を区分し、運搬手段の発展段階ごとにその歩みを追っていきます。長い章になりますので、何回かに分けて解説を行っていきますね。