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2012年11月5日  

著者へのインタビュー「美しきエビとカニの世界、増田美希・杉浦美乃里」

著者へのインタビュー「美しきエビとカニの世界、増田美希・杉浦美乃里」
独学で「博物画」を学び、エビやカニを描くことに没頭した杉浦千里さん。その極限まで細部にこだわって描かれた絵は、いまにも動きだしそうなものばかり。
早くに亡くなった氏の作品を多くの人に見てもらおうと、
姉の増田美希さんと母の杉浦美乃里さんは「杉浦千里の作品保存会」を立ち上げ、各地で展示会を開催。
さらに多くの人に見てもらいたく、作品集をつくりました。
そのお二人から千里さんのことや絵について語っていただきました。

素晴らしい作品で細かいところまで描き上げてありますね。

増田美希(以下:姉)
千里は描き始めると普通の人が気づかない部分まで見えてしまうんですよ。普通はそこまで執着しないけど、とことん突き詰めて見える範囲全てを描きこまなければ満足しませんでした。写真で表現しえない部分を「絵」で表現したかったのだと思います。
千里が描いた作品は、他を探しても同じようなものはありません。エビやカニについてこのような特殊な絵を描ける人はほとんどいないのではないでしょうか。

どうやって描いたんですか?

姉:
本人が採取や購入した生物から標本をつくり、それを絵で再現しています。たいていは写真などを見て描く人が多く、ここまでやる人はそうそういないと思います。このやり方があるからこそ、「杉浦千里の作品」となっていきました。技術についてはとても勉強をしていましたし、それをいつかは教えていきたいということを願っていました。

標本からつくって描く人はいるんですか?

姉:
研究者ならば標本をつくり、記録として描く人はいますが、カラーでそっくり再現して描く人はいないと思います。絵にしたい場合は、描ける人にお願いするでしょう。千里の場合は、生物学的な勉強を独学で学びつつ、絵は普通の人がやらないところまで突き詰めていました。そこが彼の個性なんです。生物学的にも分類学的にも正確に描こうとしていて、かつ美術的でありました。言ってみれば、欲張りなんでしょうね(笑)。
わからないことがあれば、専門家のところへ直接出向き、いろいろと聞きながらとても熱心に描いていました。

母:
余談ですが、「標本をとってないんですか?」と言われることがあります。これがくせ者で虫がわくんですよ。どんなに消毒しても虫がわいてきて、もう大変でしたよ。なにやってもダメでしたね。

千里さんが絵に向かう姿はいかがでしたか?

杉浦美乃里(以下:母):
実は描いているところを見たことがないんですよ。部屋に入れないようにカギをかけちゃってて。
出かけるときも、カギをかけているので一度も見たことがないんです。
どんな風に描いていたんでしょうねぇ・・・。できあがると、「できたよ~」って持ってくるだけで、まったくわからないんです。

姉:
本の中に制作過程の写真が載っていますけど、あれはほんの一部。実際にどう描いているかは想像するしかないんですよ。あれだけ細かく描いているのに、背景が真っ白になっているのが不思議でした。描いている途中で汚れたりするはずなんですけどね。集中を切らさずに描いていたのは本当にすごかった。

もともとこういった絵を描きたくて美術の学校に行ったのですか?

姉:
中学を卒業して美術学校に進んだのは、とにかく絵を描きたかったから。勉強より絵を描くほうが好きでしたからね(笑)。
当時はこうしたジャンルがあることはしらなかったので、デッサンや日本画を学びました。好きなものにはとことんのめり込むタイプなので、子ども時代夢中になっていたウルトラマンを、最後には自分の仕事にしてしまいました。
もちろん実力勝負の世界ですから、卒業してもすぐ仕事があるわけではなく、アニメの原画など描いていました。
怪獣のフィギュアの制作もしていましたが、パーツごとに型をつくる細かい作業で大変そうでした。
25歳のときに怪獣コンテストで準グランプリを受賞したのがきっかけで、円谷プロダクションにスカウトされたんです。
怪獣のデザインを任されると喜んでいたら、最初は文房具や靴などの絵を描くような仕事ばかりで、1年に1度カレンダーの絵を任されるのを楽しみに、仕事を続けていました。
その後、ウルトラマンUSAなどに参加するうちに実力が認められ、ウルトラマンゼアスで初めてキャラクターデザインを任されました。
博物画を描き始めたのもほぼ同時期で、魚類図鑑の挿絵を担当したのがきっかけです。もともと小さいときから生き物が大好きで細かい所まで観察して描いていましたから、細密画の学校に通いながら2つの仕事をかけもちで続けていました。
1枚描くのに何週間もかかるので食べていくにも大変だったのですが、生活費のために苦労して描いた絵を売る気にはなれなかったようです。売ってくれって話はありましたが、自分が力を入れて描いた絵は手放せませんよね。でも、そのお陰で手元に作品が残り、展覧会を開くことができているのです。

母:
でもね、気心が合うとあげちゃうこともあるんですよ(笑)。あれだけ苦労して描いた絵なのに、ポッとあげちゃうんです。褒められると嬉しくなっちゃうからですかね。

なぜ千里さんの作品を出版されようと思ったのですか?

姉:
展覧会を開催するたびに図録がないか尋ねられました。単に絵の写真を載せるだけでは博物画の魅力は伝えることが出来なかったんです。そこで生物学的な解説も加えた作品集を出版することを思いつきました。

製作で苦労したことや気をつけたことはありますか?


実物の作品は大きなものも多く、本にしたときに迫力を再現することは困難でした。扉に拡大した画像を使うなどして、元図のイメージをできるだけ再現することに務めました。原画は複雑な制作工程を経て制作されているため、微妙な色彩を印刷で再現する作業は難しく、何度も色校正を繰り返しました。原図と見比べながら修正を加えることで、かなり近付けることができたと思います。編集担当の内藤さんには、当時開催していた個展会場に何度も足を運んでもらい、打ち合わせをしたおかげで、良いものに仕上がりました。

この本を出して、良かったことはありますか?

姉:
生前は「いつかは本を出して展覧会もやりたいね」と話はしていましたけど、千里が亡くなってからしばらくはそんな気にもなれませんでした。その間、絵はそのままになっていて、「どうしようかな」と途方に暮れていました。
展覧会をやるにも、いまのように多くの協力者がいませんでしたが、「かなっくホール」での開催が転機になり、そこから千里の知り合いが訪れ、広がっていきました。そのため、私もいろいろと勉強しましたね。
絵だけを残すとバラバラになっちゃう可能性はあるけど、本だと一つにまとまっているので、それを見れば作品全体を見ることができます。絵の持つ力はすごいですね。生きているかのように自らアピールしていき、次から次へと展覧会の話がきました。千里が残したこの絵がいろいろな人をつないでくれました。これはすごい宝ですね。一生懸命になって描いた絵だからこそ、いろいろな方が協力してくれたんだと思います。
また、展覧会をやっていると、小さな子供たちが一生懸命に見て、それを描いている姿がすごく印象的でした。そういった子供たちのなかから興味を持ってくれて、博物画を描いてくれる子がでてくると嬉しいですね。

母:
会場で私くらいの方が泣きながら見ていることもありました。入口に千里の経歴が書いてあって、たぶんそれを見て、「この人はもうこの世にはいないんだ」と思って涙したんでしょうね。とてもありがたいことです。
そして、娘のおかげで千里の作品を世に知ってもらうことができたし、こうやって本を出すこともできました。

作品を通じて伝えていきたいことは?

姉:
ひとつは甲殻類というマイナーな生物の持つ魅力を、千里の絵と朝倉さんの解説を通して知ってもらうこと。エビやカニは食材としてはよく知られていますが、多種多様な形や生態については知られていないことが多いんです。
もうひとつは博物画というジャンルの持つ面白さ。今回作品を描く制作手順を本に載せたのも、写真やCGと間違われる精密な描写が、画家の指先によって生み出されていると知ってほしかったからで、デジタル技術を使えば何でも簡単に再現できてしまう時代だからこそ、人間の持つ力の素晴らしさを再確認する手立てになればと願っています。
そして、時代を超えて、次の世代にこの絵を残していきたい。そういった意味でもこの本を出版できて良かったです。これからの世代の人たちにこの本を読んでもらい、千里の思い、私たちの思いを伝えていきたいです。

最後にメッセージをお願いします。

姉、母:
この本を通じて千里というユニークな画家を知っていただけたことに大変感謝しています。本に描かれている作品は千里が実際手で触れ、細部まで観察して描いた物です。一枚一枚絵を見ていくと、甲羅や触角などの質感が伝わってくると思います。できれば解説に書かれている生息地の海を頭に思い浮かべて、岩陰や砂の中で生きている姿を想像してみてください。きっとエビやカニの魅力がより伝わることと思います。

●編集後記

見れば見るほど絵に引き込まれていく杉浦千里さんの博物画。その素晴らしい作品を多くの人にも見てもらおうと、展示会開催に駆け回るお姉さまの増田美希さん。お話をお聞きしている中で、もしかしたら千里さんよりも絵に対する思いが強いのかなと感じられました。家族の愛情がこれらの絵を生み出したのかもしれませんね。
(編集グループ内藤、営業グループ小川)

杉浦千里博物画図鑑 美しきエビとカニの世界
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