南極観測60年!内陸装備の歴史

南極観測60年!内陸装備の歴史

こんにちは、石川です。
週明けから暑くて、5月にして既にバテそうですね・・・。家では今年初のクーラーを始動させてしまいました。
そんな今日は涼しげな南極のお話を。昨日出来てきたばかりのほやほやの新刊『南極大陸大紀行』より、南極大陸での装備についてです。
極寒の地で安全に観測、探検をおこなうための、防寒装備の開発から改良までをふり返ります。

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開発の時代

南極でも内陸は特に極寒の環境であり、行動の安全と作業の効率化のためには、衣類装備の性能、特に防寒性、防風性が重要になる。
南極観測の開始にあたり、防寒衣類装備の研究開発が進められることになった。

その少し前、1950年に、ネパールヒマラヤのアンナプルナ峰(8091m)にフランス隊が初登頂する。人類初の8000m峰の登頂成功である。この隊は、合成繊維製品を積極的に活用し、「ナイロン隊」ともよばれ、極寒の世界での合成繊維の有用性が広く認知されるきっかけになり、南極の装備にも影響を与えた。

初期の衣類装備は、当時日本でも政府が各種合成繊維の育成企業を選定し、開発を促進していた。そして合成繊維の生産が軌道に乗り始めた時期がちょうど南極観測の初期と重なっていたので、様々な合成繊維をそれぞれの特徴を活かして利用することができた。

確立の時代

第14次隊は、このような開発の歴史を経て、衣類装備についてはほぼ体制が確立した時期といってよいだろう。のちに参加した第35次隊でも、基本的な装備はほぼ同様であった。内陸旅行の場合、上半身は、内側からウール下着、ウールカッターシャツ、キルト肌着(合繊綿入り)、ナイロンヤッケに極寒用として羽毛服といった組み合わせが標準だった。特筆すべきはD型極地用防寒靴、通称D靴である。中敷きや靴下で保温性を調節し、内陸旅行全般で用いられた。その後多少の改良を加え基本はかわらぬまま、現在でも、また世界各国でも利用されている。

とはいえ、やはり苦労はあり、工夫も必要であった。革製の通称「ロシア帽」は頭部は温かいが顔面は保護できない。顔面を覆うのはウールニットの目出し帽になる。これは二重になっていても風は通りぬけ、頭は寒い。そこで防風性を補うため、ナイロン生地を頭と後ろ半分を覆うように縫い付けた。頼まれた数人に同じ加工をしてあげて、好評だった。

手袋はウールの5本指手袋(普通と厚手)、それらに重ねる黒皮五本指手袋、極寒用としてボア付きのオーバー手袋があった。特にやまと山脈旅行では測量器械を扱う細かい作業があるので、これに加えて絹手袋(礼装用)、極薄手のウール手袋など何種類かを用意し、各人の判断で組み合わせ、使用した。

ドームふじの衣類装備

氷床ドーム深層掘削計画では1995年の第36次隊からドームふじで越冬が始まった。
当初、年平均気温はマイナス60度に近く、最低気温はマイナス90度を下回って世界の最低気温記録を更新するのではないかと考えられたほどの極限寒冷環境である。これまでより高い防寒性能をもつ装備が当然必要となる。そこで、ドームふじ用として様々な装備が追加された。
このころは、登山・アウトドア用品メーカーから高性能の防寒装備が市販されるようになっていたので、羽毛インナー上下、防寒肌着類、手袋類など、その中から選択、利用したものも多い。一方で、従来のD型防寒靴に重ねるインナーシューズ(2種類)、D靴用オーバーシューズ、試作防寒靴、フードつき防寒ベストなどの特注品も用意された。越冬後の報告では、防寒性能としてはおおむね満足できるものであったが、手・足・顔では問題が残ったようである。

そしてこれから

2008年の第50次隊から、衣類装備の見直しが行われた。野外行動用の衣類装備も、いくつかのメーカーを選び、最先端のものを導入し、それを何年かかけて改良していくことになった。市販の最先端のものでも、動きやすさやポケットなど、南極で使い勝手が良いとは限らない。伝統のD靴も、52次隊からは足首が締まって歩きやすいものに変わった。現在も、改良の努力が続けられている。

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もっと知りたい方はこの本をどうぞ。『南極大陸大紀行-みずほ高原の探検から観測・内陸基地建設・雪上車の開発-』
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