地下鉄「大江戸線」、計画から開業まで

地下鉄「大江戸線」、計画から開業まで

こんにちは、石川です!
みなさまあけましておめでとうございます。もう10日ですが!
今年も販促ブログでは、ちょっと役立つまめ知識や、居酒屋の話をこつこつアップしていこうと思います(笑) ので、ときどき覗きに来ていただけると幸いです(^.^)

さて、昨年末、当社のtwitter(@seizando_pub)で、地下鉄「大江戸線」についてのツイートがちょっと話題になりました。(いくつかあるので、気になる方はツイートを遡ってみて下さいね!)

計画から約30年の歳月を経て開業した地下鉄「大江戸線」は、新宿駅から光が丘駅までの「放射部」14kmと、都庁前駅を起点に周回する「環状部」29kmからなる「6の字形」をした地下鉄。接続運転のない独立した地下鉄で、日本で最も長い、総延長43kmの路線です。
その計画から完成までをまとめた『大江戸線建設物語 地下鉄のつくり方―計画から開業まで―』から、今日はその計画当初のおはなしをちょこっとご紹介します。

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大江戸線の誕生と社会情勢

大江戸線(地下鉄12号線)は、昭和47年、都市交通審議会から「東京圏高速鉄道網整備計画」において示された13路線のうちの1 路線で、放射部と環状部からなる「6 の字形」をした40.7km に及ぶ長大な路線です。
この計画が立てられた時代は、ちょうどオイルショック前の高度経済成長期で、東京の人口と産業の集中が顕著でした。そのために輸送力の増強、到達時間の短縮、副都心の育成を図るために、高速鉄道網の整備が急がれていました。

しかし、大江戸線の免許を取得した昭和49年当時は、第一次オイルショックに見舞われ、それに伴う社会経済状況の激変によって都の財政もきわめて厳しい状態に陥りました。それに伴って人口と産業の集中も鈍化傾向にあったために、大江戸線の建設は一時見合わされることとなりました。

放射部の建設

昭和53年、東京都知事の諮問機関である東京都交通問題対策会議は「都営交通の安定と発展のための方策について」(報告書)のなかで、大江戸線については「再度交通需要の予測を行い、路線立地、交通機関の構造、経済性、補助制度などを検討のうえ建設されるべきである」と提言しました。

一方、都区内最後といわれたグラントハイツ跡地(現在の光が丘公園周辺)における大規模住宅団地建設に伴って、公共交通機関の整備の必要性が高まり、東京都は昭和57年の「東京都長期計画」(10か年計画)のなかで、大江戸線放射部(新宿~練馬~光が丘間)の整備を重要施策として位置づけました。

この放射部の建設にあたっては、先の東京都交通問題対策会議の提言を受けて

・輸送需要に見合った適正規模の規格とする
・新技術の導入を図る
・建設費、運営費の節減に努める

を基本方針として、輸送需要およびルートの再検討を行いました。
大江戸線は他線と相互乗り入れをしない独立した路線であることから、独自の規格・規模の地下鉄とすることを前提に、

①車両の小型化(16.5m 車8 両編成)
②トンネル断面の縮小
③駅などの諸施設のコンパクト化

を図ることを決定し、放射部(新宿~練馬~光が丘間)の工事に着手することとなりました。
放射部の建設着手後の昭和63年12月、「地下鉄12号線建設推進本部」において、車両の推進力にリニアモータ駆動方式(鉄車輪式)を採用することが決定されました。

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と、ここまでは計画段階の時代背景、裏話でした。この後の建設についても追々アップしていきますね。

もっと知りたい人は、当時の最新・最高の技術を導入、数々の苦難を乗り越えて開業した大江戸線の計画から事業の完成までを、実際の建設に携わったメンバーがまとめた
大江戸線建設物語 地下鉄のつくり方―計画から開業まで―』をぜひチェックしてみて下さいね!(^^)