SNSから1ヶ月ほど離れてみてわかったこと

今や情報の多くをSNSから取る時代。しかし、その情報は事実なのか? そして、いろんな人と繋がることのできるツールでもある。僕もTwitterを通じてたくさんの人と繋がることができ、出会うこともできた。自分でもたくさんのことを発信できるし、情報を得ることもできる。しかし、しかし、そこだけが全てなのか? 大事な時間をSNSに突っ込んでいいのか? そんなことが頭をよぎった。

みなさん、こんにちは。
成山堂書店という専門書をつくっている会社の三代目(専務)の小川啓人です。
海に関すること(船、海洋、水産)、気象、飛行機、鉄道などの物流の専門書から、
深海魚、釣り、海の生き物などの趣味的な本までを発行しています。

なんのためのSNSなのか?

3年くらい前からSNSの可能性を感じ、仕事を含めプライベートもSNSにどっぷりと浸かった。フォロワーを増やすとともに「いいね」の数を追い求めた。たくさんつくと嬉しくなり、フォロワーが増えると「もっと増やすぞ!」と意気込んでもいた。たくさんの人と繋がることができ、自社の本の告知も有料広告を使わずともタダでできる。昔では考えられないこと。だからこそ、多くの時間をSNSにに費やした。プライベートの時間も。ことあるごとに写真を撮り、それをアップして世に言う「リア充」ってやつだったのかもしれない。たくさんの人と繋がれば、自社の商品を知ってもらえると思っていた。それは間違いのない事実。しかし大きく売上に貢献したのだろうか?

「SNSをやれば売上があがる」と信じ、いつでもどこでもスマホを見ていた。友人といても家族といても。気になって気になってしょうがない。まさに中毒というやつ。しかしふと、「なんのためにやっているのだろうか?」「本当にここまでやる必要があるの?」と思ってから、スッと離れていった。離れて気付いたことがある。

大事なことを見失ってからでは遅い

全ての時間を犠牲にしてまでスマホにかじりつき、ネタと思えば写真を撮り、常にアップしていく。それが自分の人生に必要なことなのだろうか? 家族と会話してても自分はスマホの画面を見ている。「それっておかしくない?」。スマホよりSNSより大事なことってあるのだろうか? そんなことを思った1ヶ月前から、仕事中の仕事の発信以外はほぼやらなくなった。たまに一人の時間ができて気が向いたら発信するけど、家に帰ってからや家族と過ごす休日はほぼやらない。スマホを見ない。ときには電源を切る。そんな生活を1ヶ月していると、SNSを開くことすら忘れる日もある。

家族や友人と会話しているのに、画面をずっと見てるって失礼だよね。そりゃ会話が上の空になる。そのうち話してくれなくなる。会話する時は画面を見るんじゃなくて相手の目を見よう。それが会話だから。

今さらながらそんなことに気付いた。

目的を持ってやること

何か目的があるのであればいいだろうけど、ダラダラとやるのであればやらないほうがいいのかもしれない。時間を決めてやるとか。スマホは使い方次第ではたくさんのことができる。しかし、使い方次第ではスマホの奴隷になる。スマホをやっていると周囲の気配が消えることがありませんか? 電車で降りる駅を過ぎてしまったり、声をかけられているのに気付かなかったり、歩きスマホの人は前から人が来ているのに気付かなかったり、電柱にぶつかっている人もいますからね。それくらい周りが見えなくなるんです。

そうならないためにも、目的持って使いましょうと言いたい。見るのはいい。でも、ダラダラ見るくらいなら「本を読め!」と言いたい。本のほうが有益な情報を得ることができる。それは自分で目的持って字を追っかけているから。情報の出どころも確か。

SNSやスマホから離れてみて思ったことはそういうこと。これからも、前のようにガシガシとSNSに目を向けることはないだろう。リア充を自慢することも、意味わからないつぶやきもない。仕事としての発信を中心に、仕事としてやっていくだろう。そうじゃないと見境なくスマホの奴隷になってしまうから。